村松嘉津『巴里文学散歩』1956,類を見ないフランス文学名所案内、だがフランス文学の知識がかなり要求される
出版はもう古いが、なかなか類を見ない本だと思う。著者は
「村松嘉津」みらまつ・かづ(かず)、1906年生まれ。津田塾の
英学、アテネ・フランセ卒、その後、中国、フランスに長く滞
在、戦前のことだ。1940年、日本に帰国。戦後、1948年に再び
フランスに渡った。1931年、昭和6年、来日していたフランス人
男性と結婚。戦後は1948年からフランス在住となる。
この本は巴里に長くむ著者が、この世界的な都市に残る「
史的建築物、記念碑、彫像、地名、あるいはそれと知られ、ま
たはそれと推定される家屋などを訪ね、古くは中世紀から現代
に至るまで、そこにちなんだ文学的回想ないし報告を試みたも
の」だという。
著者はまず、パリの歴史と市街の構造について簡単に述べて
から、慣例に従って、パリの セーヌ川の中洲と右岸、左岸の
三つにわけて文学的散歩を始める。
セーヌ川の中洲の中の「シテ」はパリ発祥の地である。ここ
にノートルダム大寺院がある。そこで、話はユーゴーの小説に
ふれていく。さrにその広場に続いていた貧民窟を舞台にした
ユージューヌ・シューの小説『パリの秘密』いついて綴られる。
「シテ」につづく「サン・ルイ島」には、軒並みに記念牌が
打っている古めかしい家屋が並んでいるのだが、そこにはボー
ドレールの住んでいたピモダン屋敷や、ヴォルテールが愛人と
して迎えられたシャトレー侯夫人のランベール屋敷もある。
著者、村松嘉津さんはそれらの家に一々足を運び、室内の描
写を試みると同時に、その家と,そこに住んだ人との関係を説明
する。また、それらの家について書かれたフランス人作家の文
章を紹介する。だからこの本は、文学名所の案内記であるが、
同時にフランス文学案内、逸話集でもある。
右岸と左岸についての説明も同じやり方であり、バスティー
ユ近辺、バレー・ロワイアル付近、モンマルトル地区、河岸、
ラテン区、ルクサンブール地区など、メジャーな地区を中心
に、その地区の中に見出される文学者の旧居や、劇場、由緒あ
る出版社、博物館や、文学的カフェなど、非常に丹念に述べら
れている。
そのため著者は、ゾラの小説『パリの腹』で有名な中央市場
とはどんあところであるか、毎週火曜日には若い詩人、文士た
ちが集まったローム街マラルメの旧居は、今も昔も「狭く暗い
階段」を通っていかねばならないという。
著者はまた夢幻的な、19世紀の詩人ジェレール・ド・ネルヴァ
ルが首をくくって死んだ「古い提灯町」というのは、現在どの場
所かを探索、現在のサラ・ベルナール座あたりであろうと報告で
ある。これも容易ではなかったようだ。ルメール出版社を訪ねて、
高踏派の詩人たちがこの中二階に毎日のように集まってエスプリ
に満ちた「素晴らしい会話」を続けていたと回顧し、デカルト街
39番地のヴェルレヌの旧居ではこの詩人の悲惨な晩年を偲んでい
る。
ただフランスの作家の話しだけではなく、モンゾー公園のモー
パッサンの石像の前では、、なぜか若き日の永井荷風について語
り、ポール・ロワイヤルストリート86番地の昔、島崎藤村が下宿
した家族寮を訪ね、現在ではそこが歯科医院になっていることを
教えてくれる。
とまあ、この本を読むと、フランスの詩と小説でよく知られる
パリの町と風物が、その作者たちの生活と結びつき、非常に興味
深い。
でも正直、フランス文学に相当通じてないと興味も湧きそうに
はない。まずはフランス文学に通じて、と言いたいが、実はそれ
も簡単とは思えない。その意味で十分な意味で専門書と言える。と
にかくパリ在住の著者はその場所、家屋に実際に出向いての記述だ
から信頼できるはずだ。
カルチェラタン、ラテン語地区
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