きだみのる『単純生活者の記録』1963,戦後まもなくからの仕事の一つのエピローグ、自己批判か

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 きだみのる1895~1975,私は名前の関係で「むのたけじ」と
以前混同したいたこともあった。開成中学から慶應理財科、フラ
ンス留学、アテネ・フランセ創設とも深く関わるフランス語通、
戦後は昭和20年代は今の八王子の村の寺にこもり「東京気違い
部落周遊紀行」1948で毎日出版文化賞受賞だが、地元に大いな
る反発を招いた。「ファーブル昆虫記」翻訳という業績もある、

 そういう「きだみのる」、本名をひらがな化シたのかと思いが
ちだが、全然本名とは関係ない。三好京三の養子となった広瀬千
尋は実の娘、・・・・・本書は67歳で書かれたと思われる半自伝
というのか自己批判書だろうか。

 本田椋助は八王子の山中の住んでいる。パリ大学卒業という学
歴を持つが、戦時中は学生を連れて疎開したのがきっかけで東京
の山奥の廃寺に住んでいる。彼は自分のことを、・・・・・

 「本棚より本を愛し、装丁より内容をとうとび、論理より直感
に頼り、人間に於いては頭の良さより性格に惹かれる」男だ、と
自分で感じている。

 だから超田舎に住んでも、村民と同じようにバクチをやり、猥
談を好み、ヒキガエルを食い、葬式があれば旗を掲げて先頭に立
つ。新聞なんか読まない。ラジオ、テレビトも無縁、洗濯機もな
い。トイレは、雨戸のスキから放尿で済ませる。これで税金を拒
否したらアメリアの詩人、H・D・ソローと同じようになる。でも、
思っていることと実際はまた大いに異なるというのも紛れもない

 ともかく本質主義者、と自分では思っている本田椋助だが、徹
底して虚飾を排した生活を送ろうと思いつつも果たせないことは
多い。彼には一つの信条がある。知識人は一度は現実の現場に立
ち合わなくてはならない。東京とパリで得た人文社会学の溢れん
ばかりの教養をこの村落の生活の諸現象の解明に当てようと、不
断に観察、努力を行っているが、村民の義理人情のお付き合いや、
政治への椋助の考えはラジカルなようでいて妙に保守反動で、や
や支離滅裂は否めない。ただ彼は常に自分の考えが現実を説明で
きるかどうか、思いあぐねているようだ。

 まあ昭和23年、1948年の「気違い部落週游紀行」に発して「日
本文化の根底にひそむもの」で著者、きだみのるのそれなりの思
想は行き着くところまで行った。それらの仕事の最終的エピロー
グのような位置に立つ、という書物ではある。

 





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