陶晶孫『日本への遺書』1952,創元社、インテリ中国人の終戦後の日本への直言、日本人で言うなら木下杢太郎か

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 「日本への遺書」というタイトルの本は多いようだが、これ
は1952年に創元社から刊行されたもので古いは古いがアマゾン
でなお入手できる。著者の陶晶孫は中国の医学者で1894年、
中国江蘇省無錫の生まれ、10歳で来日、小学校から九州大医学
部まで日本で学ぶ。昭和4年、1929年、中国に帰国、東南医学院
教授に就任、さらに郁達夫らと新文芸運動に加わる。昭和25年、
再来日、昭和27年、1952年2月に日本で死去。

 著者、陶晶孫は述べている。

 「日本は上代はその文化を中国一辺倒で依存したが、この中の
中国文化の表向きだけの印象を忠君愛国とか、教育勅語に残し、
明治以降は西欧一辺倒になった。うちにはまた国家神道皇国史観
が国教のようになり、ついには真珠湾攻撃となった。せっかく入
っていた列強の立場を完全に戦争の惨敗で失い、現状は世界の植
民地以下の五等国に転落の憂き目を見た。ところがかっての中国
の恥知らずな低劣な宦官志願者のように、懲りずに列強にすがり
つくような志願を行っている。そして、魯迅のいわゆる奴隷志願
してなお成らずという境地に大衆は置かれている」

 なかなか手厳しいようだが、無謀な戦争に明け暮れての軍国日
本の崩壊は事業自得と見られて仕方がないわけであった。

 つづけて

 「我々は完全な革命を欲した。それ故に、今は日本に先んじて
アジアに根を下ろした。勝利者として日本を食い物にしようとし
て大儲けを企む我が国のグループも長くはあるまい。孫文は、我
に平等を以て遇するものと仲良くする、といった。今、日本は自
らの島に棹さして西欧に合流しようと苦慮している。将来は必ず
アジアに戻るだろう」

 ともいう。

 陶晶孫は小学校から大学医学部までの教育を日本で受けている。
しかも日本人女性(郭沫若夫人令嬢)と結婚している。そのうえ
に医学者でありながら郁達夫らと文芸運動を行っている。また
日中戦争の時代、中国に居住し、戦争の実態を見ている。たしか
に日本の理解者ではある。また中国人としての誇りも十分持って
いる。

 だからこの本は両国にともに通じたインテリの著者がそのイン
テリ的率直さで大陸人らしいユーモアで戦後の日本に直言してい
ることである。実際、日本の痛い点をついているが。根底には
温かい愛情に満ちているわけである。

 日本の再建についての第一部がおもしろい。具体的な例では、
音楽に関連し、何でも本気でむきになってやって、少しも遊ぶ気
持ちがない。誰もが妙にクロウトを目指し、その結果が全てイミ
テーションになっているという。とか台湾の戦後風俗を写した「
淡水河心中」、それから惜しくも絶筆となってしまった郭沫若夫
妻の恋愛を描いた「セントラルサプライの泥棒」、「漢文先生の
風格」は実際、圧巻である。日本人で喩えたら木下杢太郎ではな
いだろうか。その善意、趣味性に於いてであるが。

 





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