内田百閒『日没閉門』1971、遺著となった回想記。岡山時代の「三好野」の思い出が絶品
内田百閒は1989年5月29日に生まれ、1971年4月20日に亡く
なった。岡山県を代表する作家では或るが、別段、小説らしい
小説などない。基本、随筆である。81歳だからイメージで受け
るような長命ではなかった。小学生時代からスモーカーであっ
た。作家になってからは起床は午後であったという。
さて、この本は発行が1971年4月15日、内田百閒の死の5日
前である。結果的に著者最後の本、随筆集となった。死後の
追悼、思い出の記事では「酔えば『日本海海戦の歌』を歌った
。煙ので列車が好きで、文章も旧仮名遣いを押し通した」告別
式は4月24日、中野区上高田4丁目の金剛寺で行われた。
この本のタイトル『日没閉門』はウィットが効いている。実
は内田百閒は「春夏秋冬日没閉門」という札を門前に掲げてい
た。季節で日の長さは大きく異なるが、とにかく日が暮れそう
になったら、実質、面会謝絶である、という意思表示だった。
ただそれだけだと、高飛車な感じになるが、「春夏秋冬・・・」
とくると一種の雅致が醸し出される。
その札を有楽町の名札屋に頼んで、瀬戸物に黒ぐろと焼き込
んでもらって、門前に掛けるようになってからのエピソードが
綴られている。
日没後、出前の皿を取りに来た店員のこおt,夜中の泥棒ら
しい男のこと、大きな顔の猫のことなどが子供時代の記憶とご
ちゃ交ぜになって書かれている。なにか他愛のない文章のよう
だが巻頭の話としてはふさわしい。
内田百閒、やや衰えは早かったようだ。晩年は右足が不自由
となって、半ば寝たきり状態だったようだ。それを百閒流に書
くと
「人間には四肢がある。両手両足、〆て四本の内、その中の
右脚の膝小僧から下の具合が悪く、ぢっとしていて別に痛むわ
けではないが、どうもうまく行かない。不思議なもので、四本
の中の一本が思うようにならないと、残り三本も駄目である。
つまり身体不自由、中風病のような哀れな情態になってしまう
ということになる」
この本は百閒先生がそういう不自由な状態になって、20年来
東京ステーションホテルに招待していた新年の「御慶ノ会」に
も5月の誕生日の「摩訶陀会」にも出られなくなった百閒先生の
随筆集なのだ。
外出もほぼ出来なくなった百閒先生、しきりと脳裏をよぎる
のは亡き両親のこととあ、その親族のこと。初めて夏目漱石に
出会ったときのこと、大学卒業前後の血気盛んな頃のこと。最
初はドイツ語教師として赴任した陸軍士官学校、海軍機関学校
、陸軍砲兵学校のことである。同じ海軍機関学校に奉職してい
た頃の芥川龍之介のこと、同じ数学教官黒須康之介のこと、若
くして亡くなった教え子のこと、画家やホテルボーイのこと、
死んだ飼い猫のこと、楽しかった汽車旅行のこと、それらの思
い出を実に淡々と綴っている。旧稿にも書いてあるから、とい
う断り書きも忘れない。
また「みよしのの山の秋風小夜ふけてふるさと寒くころもう
つなり」という古歌から、幼い頃、聞いた着物をとんとん叩く
キヌタの音を思い出し、そこから貧乏時代、「三好野」という
しるこ屋の話、今でも岡山を代表する弁当屋「三好野本店」だ
が、・・・・・・その記憶、岡山のナンバースクール、六高の
頃、レストラン三好野の美人ウェートレスの思い出、
最後に「老いの繰り言、きぬたの音の如くさびしいな」で結
んだ「みよし野」というたいとるの随筆は心にしみる。
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