新田次郎『沼』1960,実は農村作家でもあった新田次郎、土の匂いのする作家を印象づけられる推理小説、農村怪談
新田次郎と云えば山岳小説、また重厚な長編歴史小説もある。
概して山岳小説というイメージだが、この作品1960年、昭和35
年の発表の『沼』は何か非常に土の匂いのする作家だなと強く
印象づけられるのだ。
無論、長塚節の『土』は農民文学でタイトルからして「土」で
あるが、この土は農業由来の人糞の臭いである。なら新田次郎の
土の臭いは別に化学肥料そのもの、とは言わないが有機と混ざっ
た化学肥料、すなわち化成肥料の匂いだろうか。新田次郎のこの
作品では、農村の生活、すあなち虫類や林、落葉、馬、きのこ類
、納屋、農耕作業がいたって生き生きと描かれている。物語の背
景をなす農村の舞台、書割デッサンが実に堅実で、やはり諏訪市
出身を思わせる。山岳もあるし、農業もある。
正直、農村作家と云っていい作家は戦後は少ない気がするが、新
田次郎はまさしくそれに該当するのだ。
田山花袋に『一兵卒の銃殺』という作品があるが、実際、『沼』
の筆致というか、トーンはそれと共通なものがある。独自のスタイ
ルとなり得ている。で、登場人物が実に風変りである。いかにも、
当時の日本の農村、また就業者の半数以上が農業だった日本、いか
にも農村云いそうなタイプである。農村の典型だろう。
あのモーッパサンは都会派作家のようだが、農村を舞台の作品も
多い。そこに出てくる人物がどこか新田次郎の農村文学のそれと似
ているのだ。『雨傘』、『首飾り』、『墓地の女』それらはモーッ
パサンの都会的側面だが、『法師谷』、『片輪者の母』、『小さな
樽』、『メゾン・テリエ』などは農村作家の側面であるモーパサン
の優れた部分はフランスのその時代の多様な顔を描き分けた点にも
あるのではないか、それと新田次郎は共通性がある。
で推理小説だが実になんとなく不気味だ。まさに農村怪談という
べきか。農村の秋祭り、タカイチに掛けられる「地獄めぐり」、
因果が報いる「ねこ娘」あるいは「蛇娘」などとかけ離れているよ
うでも、根底で何か通じている気がする。サスペンスの動機を素朴そ
うに、実はオシャレに、と云うと変だが、そう感じるから仕方がない。
異色ミステリーである。ロアルド・アールの恐怖と相通じる。日本の
作家で南條範夫との共通性だ。また新たなテーマだ。
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