やや風変わりな自民党内抗争、高市の総裁辞任を、と脅す公明党のエージェント、船田元。何の大義名分もない
自民党は長い歴史で数多くの党内抗争を繰り返してきた。が
、要は政権の座になければ何の意味もないわけである。党内抗
争いで印象深いのは田中派・大平派と福田派の40日抗争、現職
の 福田赴夫を総裁選で破った大平正雄での衆院選での過半数
割れ、1979年10月7日であり、そこから11月20日の大平第二次
内閣組閣までの40日間の抗争であった。さらにその前、だが、
椎名悦三郎による裁定で総裁、首相になった三木武夫だったが
、今度は「はしゃぎすぎ」と椎名は「三木おろし」に突っ走っ
た。これも第一次、第二次とある。「~おろし」はまた自民党
のお家芸でもある。
で40日抗争では自民党内で福田派がバリケード、これに大平
子飼いの浜田幸一が「こんなことをやって自民党がよくなると
思うのか」とバリケードを壊しにかかった。一ついえば、田中
角栄と大平正芳は早くから非常に気が合っていたのである。
「こんなことをやって自民党がよくなると思うのか!」
抗争は一旦は収まったが、火種はずっと存続し、それは翌年、
1979年の思いもよらぬハプニング解散になったのである。ここ
で大平正芳は街頭演説に精力を傾けたが選挙期間中、心筋梗塞
で急死、これが自民党への同情を生んだのか、自民党は記録的
な勝利、過半数割れを完全に挽回した。大平正芳も盟友の池田
勇人も、ともにヘビースモーカー、これが両人の命を奪ったと
思う。喉頭がんと心筋梗塞である。
ともかくロッキード事件以来の自民党の苦境は大平正芳の
選挙期間中の急死で、ある意味、脱することができた。なお、
このときの衆院選、自民大勝で投票率は高かった。組織票に
依存の公明党は高投票率が災いし、敗北している。
……ところで今回である。栃木県、作新学院のオーナー、船田
元がそのFacebookで「高市退陣」を口にしている、公明党をや
たら高く評価している。「総裁選挙やり直し?」だが、これには
何の正当な大義名分はない。理由もない。公明の連立離脱は、ど
こまでも高市への公明党の持つ悪感情だ。
高市の次の総裁では自公連立を回復させたい、というのが本
音である。・・・・・・ちょっとこれは厚かましい、というか、
理非の分別がない。企業団体献金がどうこう、は高市への因縁
であり、いいがかりである。何もそれは高市の責任ではない。
一端の責任はあっても連立離脱の理由にはならない。その公私
混同を公明党はやって「次の総裁の時は連立復帰」なのだそう
だ。
高市が選挙で敗北を重ねたなら理由にはなる、だがそれは、
高市での国政選挙は行っていないのである。まだ就任早々であ
る。
で首班指名選挙は時期が遅すぎる。あきれるほどの時間であ
る。政権復帰に必死の立民だ、野党で圧倒的多数の議席だから
や野党連立といって、あくまで立民の政権復帰だ。利用される
小議席政党、だが、選挙を考えれば維新も国民も意味はない。
維新は全国展開の政党になるのは断念だ。あくまで大阪副首都、
大阪都実現だ。大阪の自民党は反対、これを納得させてくれて
実現できるなら、それこそが目的である。立民の政権に居候し
ても何にもならないのだ。国民はなぜ立民と別れたのか、その
原点を考えれば数合わせに利用されても何も意味はない。
とまあ、またミニ党内抗争のようだ。江川空白の一日の「
掟破り」を考えたのは船田中の秘書だったそうだ、その汚い
やりかたを、また船田元がやっているわけである。
江川騒動、正力と江川、船田中(衆議院議長、作新学院長)
この記事へのコメント