いまさらながら『太陽の季節』石原慎太郎、の論考。ちょっと上流の若者たちの風俗、反抗、抗議が巧みに描かれる

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 石原慎太郎の『太陽の季節』は1956年、昭和31年の下半期
の芥川賞を受賞した。亡くなって遺言によって遺骨は全て葉山
沖の海に散骨された。この点は非常に潔いと感じる。で、この
作品、大変な話題をまいたものだが、時代風俗にも大きな影響
を与えた。映画化もされ、弟の裕次郎を俳優デビューさせてい
る。

 で、どう思う、一読すればそりゃ通俗小説にしても才筆を感
じる。芥川賞受賞決定の翌日のある新聞に出た論評はいい部分
をついている。

 「ぼくは他の候補作品を通読していないので比較もできない
が、この作品の芥川賞受賞に異ゾンはない。随分と怪しげな作
でも今まで数多く、受賞している。この作品は、ともかくはジュ
ラルミンまがいの光沢をもった、一種の新しさがある。拳闘選手
の大学生にスポーツ好きの少女を配し、性の遊びをめぎって、こ
れらの若者が、生態を即物的に描いたものだ。おそらくは常識的
な観念で描きあげたものに相違ないが、一応の器用さが、世間の
アプレ(戦後派)学生についての通念に、肉体の裏打ちをする程
度の成績は示している。

 だがこの作品が単なる風俗小説に堕さなかったのは、それが単
なる好奇心、興味によるものではなく、自己主張という面を持っ
ているからである。それにしても、その自己主張が、何らの抵抗
感を感じさせないところに、この作品の根無し草的なたわいなさ
がある」
 
 さらに別の評だが

 「『太陽の季節』受賞はまあいいが、その次の作品、[文學界]
二月号の蹴球選手の夫婦を巡る愛情心理を描いたものだが、通俗
小説で使い古されたテーマを目新しい蹴球選手の生活に組み込ん
だものでしかない。せっかくの新人がその次の作品で小器用な通
俗に堕した作品では、なんとも興ざめである」

 怪しげな作品は悪いともいえないのは、同期の芥川賞受賞の作、
近藤啓太郎[海人舟]が人畜無害な凡作の拵え物でしかないのを
読めばわかる。人間を描いたのはどちらかと言えば、幼稚な話題
作[太陽の季節]というもので、石原慎太郎は確かに才能があっ
たわけである。

 作品的な幼稚さはもう仕方がないが、要は時代を生き生きと
表現した、そこに秘められている人間性である。ある種の学生
たちについては堅実で落ち着いた描写でちょっと感心する。で
、それだケでは面白くもないので、若者、大学生が、残酷なま
での性暴力に蝕まされるさまを、スピーディーな文章の中に、
結構正確に描かれている。作家の力量はこれだけ備わっている
とは感じさせるものがある。別に既成道徳への反抗、おとなへ
の抗議ともったいぶる解釈も無意味だろう。

 ただ既成道徳への反抗、羽目を外す、しかも上流的若者が、
はより人間的な価値を守るための抗議とみなさないと、さす
がに意味はない。それは無論、不明確で、ぎりぎり文学とい
う感じは否めない。

 当時、白面の青年が惹き起こした社会的騒ぎはたいしたもの
であった、何よりも社会的な意味に尽きる!ちょっと上流とい
うところが実はポイントであり、これが下層のチンピラ、不良
では汚物に成ってしまうが、上流と反抗、世間受け、これぞ『
太陽の季節』の本質である。

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