山中恒『ぼくがぼくであること』角川つばさ文庫、自分自身の自主的思考を子供に求めている

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 昭和6年、1931年、昭和一桁の山中恒さん、戦中派で戦時下
はやはり軍国少年で終戦時は自決を口走って周囲に失笑され
たという。だが単純な軍国少年ではなく、反発は抱いていた。
かって存在した古書店雑誌『彷書月刊』にもよく山中恒が寄稿
されていて非常に反戦的であった。なお存命である。

『ぼくがぼくであること』の主人公は平田秀一という小学6年の
男子生徒だ。五人兄弟の四番目、大学生、高校生の兄、中学生
の姉、二歳年下の妹がいる。秀一以外はみな、成績が良く秀一
だけが出来が悪い。で、母親からしょっちゅう叱られ、学校で
も教師から兄弟比較をされている。おまけに妹のマユミは学校で
の秀一のありさまを逐一、母に告げ口する。だから家に帰るのも
イヤでたまらない。夏休みになって、いやけがさすほどの宿題を
与えられた秀一はその絶望的状況からの脱出をはかり、家出を考
えるが、その計画まで妹に知られ、周囲にいいふらされてしまう。

 もう癪に触ってプチ家出でもしようと小型トラックの荷物の中
に入り込んで寝ていたら、トラックは町をかなり離れた田舎道を
走っている。しかも運転手がひき逃げする場面まで遭遇した。秀
一はやっと停まったトラックから必死で逃げ出した。である農家
に泊めてもらった。その農家にはえらく頑固な爺さんと秀一と同
い年の孫娘夏代が住んでいた。

 秀一はそこで暮らすうちに、それまでの生活では味わったこと
もないような楽しさ、多くのことを学んだ。自分が自分自身で生
きることの難しさをも学んだ。

 夏休みも終わりかけて、秀一は家に戻った。母の態度は変わっ
ていない。でも秀一は他の兄弟も母に批判的だということを知っ
た。信頼していた長兄、次男も学生運動、学園闘争にかかわって
問題が生じたとき、母親の無理解の城は崩れ去った。ただ狂った
ようにヒステリックに喚くだけだった。秀一は夏代に会いに行き、
夏代は幼いころ母親と別れ、どんな母親でもいいから一緒にいた
いという言葉を聞いて、あらためて母親の立場を見直しもした。
ぼくがのくであることは、ぼくが母親の子であることを認識した、
という。

 私のように極限の毒親にさいなまれて育った人間は、かれらが
死んでも全然悲しくもなかった、もちろん涙などとは無縁だった。
ちょっと、・・・・・甘くないかな、と思った。

 秀一の母親は典型的な教育ママのように描かれる。山中恒はこれ
を批判するだけではなく、そんな母親を作った社会に目を向けてい
るようだ、登場する子供たちにそこまでの冷徹な観察を行なわせて
いる。

 だが、そこに地獄はない、無縁である。ちょっと底が浅いな、と
も感じたのは事実だ。ただ山中恒さんは、どこまでも子供の自主的
な思考を期待しているとも思える。そこらがテーマのような気もす
るが。

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