『あれから七年、戦犯学徒の獄中からの手紙』1953年(飯塚浩二)ドラマ、映画の「私は貝になりたい」のモチーフとなった出典

 
 まだテレビ草創期の名ドラマにフランキー堺主演の『私は
貝になりたい』というものがある。のちにやはりフランキー
主演で同タイトルの映画が製作されたが、やや二番煎じに
なり、やはりTVドラマの方が優れていた。で「私は貝に
なりたい」とい言葉、ちょっと特殊だがどこから、何か原典
があるの?と思ってしまうが、実はこの本がそれである。出
版は1953年2月である、

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 本書は学徒兵として戦争に駆り出され、B,C級戦犯として獄
に下った人たちの手紙を集めたものである。彼らのほとんどは
捕虜の処遇にかかわっての戦争犯罪に問われたのである。手紙
の書き手の中には直接に手を下したケースも多いし、虐待行為
を行ったものも多い。だが単に顔や名前を憶えられていたため
に槍玉にあげられたような人もいる。捕虜への治療を怠ったと
いう理由で捕縛された軍医もいる。その大部分は要は上官から
命じられたからである。助けようにも助けられない状況があっ
た。弁明はできるあhずだが、現実、捕虜に対する日本軍の対
処は非常に惨憺たるものだったのは事実である。ちょっと正視
出来ないレベルだったという。これらの収録された手紙のは学
徒出身らしく、それらの事実について、そのまま書いている。
さらに裁判のありさまもである。

 ある学徒は「附近一体の原住民を殺戮殲滅せよ」との上官の
命令に従い、ゲリラたちを殺害したとか、ある学徒は逃亡した
捕虜を殺した収容所にいた、という理由で30年の刑を受けた者
もいる。彼の手紙には「戦争は人を追い込む」という題がつて
いるが、その収容所での捕虜虐殺の描写は非常に写実的であり、
命令を下した上官、大尉がいかに巧妙に捕縛をまぬかれ、、逃
げおおせたか、事情を明らかにしている。

 編集者の飯塚氏は当時、保安大学(防衛大の前身」を受験し
たいという弟の言葉を聞いて背筋が寒くなったという。

 「この本をよく読んでいただき、軍隊が、戦争がいかに非人
道的で野蛮なものか、人間を狂獣にするという事実を知ってほ
しくて書いた」

 という。

 気の毒なのは治療用薬剤の投与を怠ったという理由で捕縛さ
れた軍医たちである。軍医の治療は不十分で粗雑だったにせよ、
あの状況は薬品も医療用品も全く不足である。故意に治療を怠
たったわけではない。スタッフも薬品も絶対的不足、どうにも
ならなかったのである。

 最後まで妻の名を呼んで死んでいった死刑囚、その妻から
処刑後、離縁を要求する手紙が彼宛に届いたという悲劇を伝
えた戦友の手紙がある。この手紙は背いた彼女に宛てたもの
だが、実際、投函されたのか、分からない。

 ある死刑囚の手紙が残されている。ほぼ発狂した彼はこう書
いている。

 「こんど生まれ変わるならば、私は日本人にはなりたくあり
ません。牛や馬にもなりたくないです。人間にいじめられます
から。どうしても生まれかわらねばならないと云うなら私は貝
になりたいのです。貝ならば深い海の底で岩にへばりついて何
の心配もありませんから」


 これはTVドラマ、映画の「私は貝になりたい」のモチーフ
出典だが、これら学徒出身のBC級戦犯の手紙は、いずれも非
常に深刻なものだ。だがこの本の目的は何か?彼らの救命か、
戦争反対、否定か、逃亡した責任ある上官の追求か、統一した
意図は分からない。要するに散々な戦争の挙句に、残るはひど
い捕虜虐待、惨殺の記憶、戦犯たちの悲しみ、絶望である。
なお編集者の序文、後記はないほうがよかった気がする。手紙
の書き手と編集者との落差、アンマッチな精神性が大きすぎる。







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