平塚らいてう『わたくしの歩いた道』(シリーズ人間図書館)特に面白いとは言えないが、考えさせられる自伝
日本近代史、女性解放運動に燦然とかがやく「青踏」平塚
らいてう(らいちょうと読む)だが実は単純ではない。「青踏」
平塚らいてう、で香しいイメージでは説明できないのである。
平塚らいてう、明治19年、1986年生まれ。戦中、戦後しばらく
は実は過去の人的に忘れられていたが戦後十年ほどしてカムバ
ックしたようだ。
平塚らいてうは「青踏」と切っても切れないだろう。「原始、
女性は太陽であった」に始まる創刊の辞は不朽の言葉である。
ただ当時、明治の日本の庶民のあまりの貧窮さを思えば、その
女性解放運動もブルジョワ的なものとなったのも仕方がない。
やはり一般民衆のレベルの人ではない。だから土の中の汚れた
根はさておき、その花だけを論じる、一種の天才主義になった
のは否めない。「青鞜」のメンバーで五色の酒を飲んだり、ま
た尾竹紅吉らが吉原で遊んだといって世間の批判を受けたり、
やはり庶民層とはかけはなれた階層の人たちであった。
平塚らいてう自身も作家の森田草平との心中未遂事件、これ
は『煤煙』で小説化された。だが、らいてうの言い分もあるわ
でそれは人を納得させるものはある。
らいてうはお茶の水高等女学校、日本女子大という具合で、
非常に恵まれた階層と言える。宮本百合子などとも共通して
いる。
らいてうの父親は会計検査院まで勤めた、実は立志伝中の人
物に近い存在だった。母親は田安家の御典医の娘で、高野長英
の血を引いいてた。らいてうは父親とはよく争ったが、母親は
いつもかばってくれた、という。「青踏」創刊も母の援助あれ
ばこそだった。だからこの自伝も母親の霊に捧げられたものだ。
巻頭は年代順の写真だが、まことに気品ある端麗な容姿であ
る。人間性も非常に包容力のある魅力あるものだ。だがそれも
恵まれた環境のお蔭だろう。別に悪い意味で言うのではない。
「青踏」はさらに急進的な若い世代に受け継がれ、やがて
廃刊となって父親と和解する。ここらは、らいてうの限界かも
しれない。だがその後、昭和初期、婦人参政権運動「新婦人協
会」の設立は昭和初期の弾圧吹き荒れる時代状況を考えると興
味深いと思う。実に誠実で淡々たる筆致である。いまいち、面
白さは乏しいが実は考えさせられる自伝ではある。古書となる
がなお読む価値があると考える。
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