高齢になるほど誕生日が嬉しくなる理由、達成感と解放感

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よく、「この年齢になるともう誕生日はうれしくない」とい
う意味の言葉はよく聞く。「年は取りたくない」から、高齢に
なるほど誕生日は嬉しくない、だんだん人生の残り時間が少な
うなるから、・・・は確かに「そうかな」とも多少は思ってき
た。・・・・・・この点では個人差が大きいかも知れないが、
私は正直、歳を重ねるほど誕生日は嬉しいと心から感じるので
ある。

 なぜ?実のところ若い頃、壮年期!の頃、誕生日など全然、
私は嬉しくなかった。社会から疎外され、孤独で不本意な人
生行路、・・・ではあるが、思うにいかな人生でも若い頃、壮
年での誕生日など、感慨はさほどないと思う。妙な退屈、マン
ネリ感でしかない。しかし、・・・・還暦くらいでは何とも感
じないが、「古稀」を超えると、何よりも生きた、まあ、まだ
さしたる年齢でもないが人生の必要最小限は生きた、これから
は、一年一年、というより一日一日を積み上げるだけ、という
まさに感慨なのだ。

 人生では何か成功しなければいけない、と皆、普通は思うも
のだ。だが、負け惜しみではなく、人生の真の価値、真髄とい
うなら、とにかくまず生きること、たとえ苦しみばかり、汚辱
にまみれたものでも、それも人生で決して否定できない生きた
あかしであり、それを生き抜いたことは誰に愧じるものでもな
い、と自分なりに思うのである、

 生きたというそれ自体が達成感を伴う年齢以上になれば、誕
生日は大げさでなく、真の意味で感無量というものである。ま
あ、いまどき70代など全く現役世代であり、まだまだバリバリ
やるしかない。とはいえ、年齢、健康不健康にかかわらず人間
、いつ死んでも不思議ではないのである。ただ健康状態がよく
体調がいいと、あたかも永遠に生きるがごとき錯覚に陥りがち
だが、実は生きる以上は常に死に面しているといって過言では
ない。人生の成功不成功、満足不本意は人生の様々なる意匠で
しかない。どうであろうと人の寿命は限られている、年数は、
まず二桁である。だからこそ、逆に言えば、とりあえず、いっ
ていの高齢まで生きればその達成感は、まさに感無量である。
もうすこし、まし生きられたら、そりゃ思う、思うが、生きた、
それ自体が人生の真髄である。

 同時に残り時間は不定だが短くなっていく。い生きるという
ことでの苦難、重圧はたいへんなものだ。その果てしないと思
われた重圧から解放される、というまさに安堵感である。いつ
までも生の苦しみにさらされ続けるのは地獄であるが、残り時
間が間違いなく徐々に短くなっていく、達成感と安堵感である、
解放感である。

 古稀以降の誕生日がなそれまでと違って感慨深い、のは十分
な理由があると思うのである。    

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