『聞き書 日本人捕虜』1987,吹浦忠正著、あの時代の日本人の悲しい心の狭さを感じてならない
『戦陣訓』ができる前から日本軍は兵士が捕虜になった場合
の対応、身の処し方を全く教育していなかったに等しい、と思
って間違いないのだろうか。戦陣訓は1941年、昭和16年である。
要するに日本の軍人は捕虜になることは恥という意識が徹底さ
れていた。日中戦争の発端は1935年だ。日中戦争、太平洋戦争
通じて戦争の結果、捕虜になった人数は他国より少なかった。
投降は無論あったが、少なかった。だが、それぞれのケースで
捕虜になった日本軍人、兵士は決して少なくない。例外的だが、
集団的な投降もあった。正直、日本兵士が投降したという事実
を聞くと何か安堵の気持ちがする。
いずれにせよ、生きて捕虜になるのは恥、という意識はいや
がうえにも染みついていた。だから現実に捕虜になったらどう
いう態度をとるかは、ほぼ全く教育されていなかった。だから
いざ捕虜になったら言わなくてもいいことをべらべら話して我
が身かわいさもあっての迎合の精神に流されたりとか、逆に豪
州でのカウラ収容所での無謀な集団脱走の試みで多数の犠牲者
を出した。
つまり日本人とは対外的なつき合いの経験が致命的にかけて
いた。それが全く異常な形で見知らぬ異文化の中に放り込まれ
て全く思いもよらない事態に直面し、そうすべきか、わからな
かったのである。この本の著者はそういう体験のある日本人の
経験を文献資料とインタビューで収集し、さらにアメリ軍側の
元日本人捕虜の管理者、日本人捕虜を尋問した米軍軍人や「戦
陣訓」を起草した元日本軍人へのインタビューなど、多くの資
料を集めたといえる。
民衆レベルで日本は家族、親族から捕虜を出したら天皇陛下に
申し訳ない、など、どうに居心地が悪いどころではない周囲から
迫害を受けるという皇軍軍国主義が確立されていた。譬えていう
なら、親族、家族からハンセン病患者を出したら、とう社会的な
偏見と共通性がある社会的迫害の慣習化であった。だから「戦陣
訓」以前に捕虜は限りな恥、という社会的意識が確立していたた
め捕虜になるのは容易ではなかった。1941年に「戦陣訓」が出来
たとされるが、実はに日中戦争初期に日本兵の悪行が目立ち、そ
の抑制のために陸軍が作ったという。
「戦陣訓」の最初の文案では「もし性欲がムラムラ起きたら、
国に残してきた妻を思い出す」という項目があったそうで、これ
は起草委員だった軍人へのインタビューで分かったという。もし
そうなら軍国主義一辺倒で捕虜禁止だけ、という戦陣訓にならな
かったかもしれない。
日本人捕虜の大規模脱走の豪州の収容所でも日本人捕虜に温かい
態度で接する豪州軍人もいたというが、日本人捕虜の中では「豪州
は将来、敗北するさいに備えて捕虜に親切にしているだけだ」とい
う日本人捕虜もいたというから、日本人の心の狭さを、あの時代の
日本人の悲しい心の狭さを感じてならない
この記事へのコメント