「私は貝になりたい」のタイトルの出典になった手紙を書いた戦犯は1952年、釈放されていた
最近ふれた記事だが、あらためて。日本のTV草創期の名ドラ
マ「私は貝になりたい」はフランキー堺主演、戦時中、B29の
搭乗員の処刑に駆り出された理髪業の男性が戦犯で戦後逮捕さ
れ、死刑判決を受けるという筋書きである。映画でリメイク、
その映画も所ジョージ主演でリメイクされたが、実は「私は貝
になりたい」という印象深いタイトルの言葉の出典は『あれか
ら七年』BC級戦犯の獄中手記、の中の一篇に含まれている。
それによると「私は貝になりたい」の手紙を書いたのは「志
村郁夫」という戦犯、中国戦線での戦犯で元憲兵曹長、旧制中
学卒、中国で終身刑、日本に戻され巣鴨プリズンに、だが昭和
27年、1952年釈放されたという。その手紙、実際の手紙を引用
する「狂える戦犯死刑囚」というタイトルである。部分引用で
ある
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私たち中国戦犯は、内地に帰れば釈放と言明され、内地に帰っ
てきた。だが、私たちを待ち受けていたものは、巣鴨刑務所であ
り、意地悪なアメリカ兵であった。身体検査が済み、一ヶ月の隔
離期間が終わると、私たち中国戦犯は他の戦犯といっしょになっ
た。私たちは情報を交換し、裁判について語り合った。
私たちは、中国の裁判以上にでたらめな戦犯裁判や、私たちが
夢想だにしない戦犯たちの被虐待の数々を聞いて驚いた。
(中略)
私は生きる時間はあとわずか24時間しかない。通訳からはっき
り言い渡された。本当長い間。私はこの日を待っていた。私は死
刑の判決を受けてから数年の間、この日を恐れて苦しんできた。
いよいよ、この日がやってきて、かえってほっとしている。あと
24時間しか命がないのに、字を書くのも馬鹿らしいと思ったけれ
ど、私は私が狂ったまま殺されるのではないことを、人に知らせ
るために何か書いておこう。
もし私が、こんど日本人に生まれ変わったとしても、決してあ
なたの思う通りにはなりません。二度と兵隊にはなりません。
けれど、こんど生まれ変わるならば、私は日本人にはなりたく
ありません。いや、私は人間になりたくありません。牛や馬にも
なりたくありません。人間にいじめられますから。どうしても生
まれ変われねばならぬなら、私は貝になりたいと思います。貝な
らば海の深い岩にへばりついて、何の心配もありませんから。何
も知らないから、悲しくも嬉しくもないし、痛くも痒くもありま
せん。頭が痛くなりませんから、兵隊にとられることもない。戦
争もない。妻や子供の心配をすることもない。どうしても、生ま
れ変わらねばんばらないなら、私は貝に生まれるつもりです。
外が明るくなっている。少し疲れてきた。今日、私が殺される
というのに、地球はやはり回っている。明日は、もう私はこの世
にはいない。けれども、また夜が来て、また夜が明ける。ふしぎ
だ。私がなくなってしまうのに、次の日があるなんて。・・・
(最後の部分)
今の情勢がすすめば、保安隊は他国の紛争に巻き込まれるこ
とは必然である。保安隊の諸君は、赤木氏およにすべてのBC級
戦犯の例にかんがみて、自己の行動を律するのが、自分のため
に得策であることを知るべきだろう。戦争だから、戦争の要求
にしたがって行動したという自己弁護は成り立たぬであろう。
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ごく一部の引用だが、「私は貝に生まれ変わりたい」である。
文中では「今日、処刑される」とあるが処刑されなかった。
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