武者小路実篤『お目出たき人』と『友情』、理想主義的な強者の恋愛小説
中学生のころまでは武者小路実篤をよく読んだ。高校からは
下らない受験国語に毒され、文学を真摯に読む習慣がいったん
は中断した。その後も読むことは、ほぼ文学を読むことはなく
なり、あらためて文学を読み始めたのは比較的最近ではある。
だが中学生頃、武者小路実篤の作品は本当によかった。『若き
日の思い出』という作品、一気に読んだがその恋心の記述が実
に胸に迫った。『若き日の思い出』はちょっと長編だが、それ
ほどでない『お目出たき人』苦渋な失恋の思いがタイトルに表
われている。『若き日の思い出』は戦後、終戦後の1946年だ。
対して、というか『お目出たき人』は作者26歳のときのもの、
青春失恋苦渋小説だ。
でも武者小路実篤は日本では実は珍しい恋愛小説の作家だと
と思う。日本近代文学で恋愛の観念がまずは主張されたのが、
北村透谷、だったのだがその浪漫主義が十分開花しないうちに
自然主義に流れが移行してしまい、愛欲は盛んに書かれたが、
何か恋愛小説は廃れたかのようだった。それが白樺派で、復活
である。武者小路の文壇処女作というべき『お目出たき人』、
である。主人公はほぼ武者小路自身とみてよいだろう。あしか
け五年くらい、一人の娘を恋し、求婚すれどもその願いは打ち
砕かれるということである。さしたる事件もなくあまりに単純
な話である。単純な片思いだ。なのだが作者は理想主義的な若
者の内面を描こうとする。最後は片思いの相手の少女は工学士
と結婚した、と聞いた。鶴という少女だが、主人公は
「その後しばらくして、自分はいつのまにか、鶴は自分を恋
してくれたのだが、父や母や兄の勧めで気は進まぬながら人妻
になったのだろうと、理由もなく思うようになった。そうして
、それから一月もたった。今は鶴を憐れむような気分になった。
そうして鶴の運命が気になり出した」
という具合に、失恋の傷心に落ち込んでしまうような気配は
薄く、逆に自分自身の精神を鼓舞するような結果である。戦後
の『若き日の思い出』はかけ値なしの気持ちい、甘酸っぱい、
恋愛小説だが、『お目出たき人)は気骨がごつごつ感じられる。
なお実際の体験では三輪田女学校の生徒、日吉という少女だっ
たという。それは日記『私の青春時代』からわかることだ。その
恋愛体験を昇華したのが『御目出たき人』という、『白樺』創刊
が明治43年、1910年で『お目出たき人』はその年の白樺に掲載の
はずが長すぎて単行本上梓となった。
で有名な『友情』1919年、大正八年、理想家的な主人公である。
だが恋愛と友情という純情二重奏である。であらすじを、ここで
は述べないが、主人公の野島は無名の劇作家、友人の妹の杉子を
ひそかに恋している。杉子は野島の親友、大宮にひそかに心を寄
せる。小説家の大宮は新進作家として嘱望されている。大宮は野
島に同情して出来るだけ、杉子の兄妹には近づかないようにして
いた。・・・・・大宮は突如、洋行した。見送りに来た杉子の態
度を見て野島はその心を悟ったが、思い切って求婚し、ことわら
れる。で、パリに行って大宮から手紙がしばらくなかったが、久
しぶりに手紙が来た。ある雑誌に発表した小説を読んでくれ、で
あった。不安の思いにかられ、それを読むと、大宮が洋行後、杉
子とかわされた手紙が小説の形となっていた。それによると大宮
は自分に向かう杉子の気持ちを何とかして野島に向かわせよう、
と努力したが、結局、かえって二人は結ばれ、今ではパリに杉子
がやってくるのを楽しみに待っている、という内容だ。それを読
んでくやしさのあまり、野島は大宮がくれた楽聖の彫像をたたき
つけ、こわした。大宮に手紙を書いた。
「君よ、君の小説は君の予想通り僕に最後の打撃を与えた。特
に杉子さんの最後の手紙は、・・・・・。君よ、仕事の上で決闘
しよう。君の残酷な荒療治は僕の決心を固めてくれた・・・」
野島は武者小路で大宮は志賀直哉だ。尊敬できるすぐれた友人
として描かれている。
『お目出たき人』、『友情』とも失恋に終わるが、高見順や太宰
治らの弱者の文学と異なり、真逆である。非常に理想主義的な芯の
強さを感じさせる。どこまでも、自分の内なる要求を生かさずには
おかないという、云うならば強者の文学に仕上がっている。また逆
に、強者の生き方に絶望したところから始まった高見順、太宰治と
いうべきか。
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