安岡章太郎『走れトマホーク』講談社文芸文庫、珠玉の短編集、いかにも、自由でのびやかな短編
やはり安岡章太郎のキャラクターと云うべきか、非常に、
のびのびと自在、いかにも章太郎さんらしいと感じた。当
時の最近作集でなく、歴代の珠玉の短編集だろう。あたら
めて日本人には短編があっているとも感じた。短編は人生
のあらゆる多くの要素を詰め込むなどできない、人生の、
なんというのか、非常な生臭さをきれいに除去してしまい、
見た目、あっさりしたものになる。外国の長編と比べたら、
刺し身と豚の丸焼きの違いと云うべきか、刺し身だって生
臭いが味わった瞬間に喉を過ぎている、という風情が短編
ではないかな。
収録では『海辺の光景』はよく知られた代表作だ、だが
内容は長編的な要素がある。カミュの『異邦人』と設定は
似ている。肉親の精神異常、狂気にどう取り組むかである。
長編になり得る要素を持つが、短編に押し込められたよう
な印象だ。
でもこの短編集で最も長いのは『テーブルスピーチ』だ。
軍隊時代の友人の再婚、彼の自殺した先妻、語り手である
主人公の狂気の妻、友人のガールフレンドとの妙な形で出
てくる女の狂気の夫、などが複雑に絡み合い、あちこちに
自殺、狂気という袋小路を持ちながら、新開地の住宅と道
のように、アメーバの触手のようにふくれあがり、息づい
て長編になりそうな印象を受けてしまうのだが、章太郎さ
んは、強いてそれらと対決しようという気持ちもない。
友人の再婚の式場で、家庭の疚しさをスピーチすることで
作品が終わる。ちょっと、・・・・・やや失敗作的な匂い
も漂うが、どうも章太郎さん、この作品の時期に何度も、
家庭のやましさについて取り組もうとしたようだ。私は家
庭の汚物より、汚物の入れ物でそれを表現する方が、章太
郎さんらしいと思える。
『聊斎志異』、『走れトマホーク』、『球の行方』などの
短編はすべてウィットに富んだいい作品だと思う。『聊斎志
異』では説話の形を借りながら、子供を描いているは面白い。
『走れトマホーク』、『瀑布』は外地小説で、アメリカ、
カナダを舞台にしているのだが、やはり白人を見る目は結構、
意固地なものがある。批判的立場に立っている。
「旅というものは、しょせん、何処かに行って帰って来る
ことだ」とある。一日旅行も月旅行も同じだというのだ。章
太郎さんにはアメリカもつき世界なのだ。外国人など理解で
きるものではない、という確信は実に正確な映像を作り出す。
だから主人公はアメリカの西部で、インディアンの戦闘用の
斧という意味、トマホークという名付けられた馬に乗りなが
ら突如、高級将校だった自分の父親を理解するのだ。この点
で『志賀直哉論』が自己批評になったように、内地小説にな
っているのだ。
でも章太郎さん、あの若い頃からの病身で93歳の天寿全う
だったな、・・・・。
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