横綱、栃錦、その師匠の栃木山の潔い引退は本当に賞賛すべきことか?自己の信念による早すぎる引退は責任放棄のエゴではないか?
随分、古い話を持ち出すようだが、心に引っかかるものがあ
る。東京下町の出身の第44代横綱、栃錦。その師匠の栃木山は
シコ名の通り、栃木県出身。「近代最強力士」とされる。その
年二場所時代で9回の幕内優勝を遂げ、勝率も非常に高い。栃
木山は春日野部屋を創設、そこに入門した栃錦を養子にした。
法的には親子ということになる。タイプも似ている。体型がそ
うだ。・・・・でなにかといえば、「栃錦さわやかに潔く引退」
と言われるが、それが「父親」、師匠である栃木山の影響である。
栃錦が横綱昇進を決め、喜びのとき春日野(栃木山)はやおおら
「横綱は引き際が肝心だ」と言って、それを栃錦が忠実に実行し
て「潔い引退」、なお今でも絶賛する人が多い。少なくとも、
否定的に言われてはいない。
栃錦
だが「横綱」という地位は公人である。確かに横綱でなければ
負けれ地位が落ちる、だから地位が落ちない横綱は不敗、ほぼ不
敗でなければならない。わずかでも力が落ち、不敗的な成績が残
せなくなりそうなら、引退スべき、・・・・・という建前も絡め、
「いさぎよい引際」美談がマスコミで語られる。「十分余力があ
っても潔く引退」美談は確立されているようだ。
物は考えようだ。確かに成績が悪くても陥落しない横綱は制度
自体が矛盾を孕む。不敗の力士などいないし、それに準じる成績
をコンスタントに、というのもまた建前の暴走である。
発端を栃木山と考えれば、その引退は早すぎたと言われる。そ
れまで三場所連続優勝して張り出し横綱ということへの不満は実
は大きな理由だたっと思う。だが1923年9月1日の関東大震災は東
京に壊滅的な被害を与えた。国技館も大きな被害を受けた。他に
二横綱がいても実力は栃木山が抜きん出ていた。角界が苦難の時
期であった。その時期に「衰えを感じさせないうちに惜しまれる
うちの引退」・・・・・・美談になり得るだろうか、絶対になら
ないと考える。まずその時点の角界の状況を考えねばならない。
「惜しまれるうちに引退がいい」はそれが許容される状況でなけ
ればならない。やめるやめないは勝手、自由だろうが、横綱は公
人である。何よりも角界の状況を配慮せねばならない。付け加え
れば栃木山は薄毛で髷が結えなくなった、のも理由と思われる。
だが栃木山は角界の苦難を無視して「惜しまれる内が花」と早
すぎる引退をした。だが、根底に栃木山に非常にエゴな、自己の考
えを構わず実行という性格を抜きにしては実は考えられない。17歳
で結婚、妻は妊娠中なので18歳のとき、すべて引き止めを無視し、
一人上京し、角界に入門。この性格がところ、時期を変えれば「
惜しまれるうちに引退が花」と根底でリンクしていないだろうか。
確かに横綱は成績が悪かろうが陥落しない、だから、としても、
陥落して当然というほど悪くないなら周囲の状況を考えて、続ける
ことこそ真の横綱と云うべきだ。戦前日本は出征したら桜のように
潔く散れ、と叩き込まれた。これは権力側からの精神操作だが、こ
れが個人レベルで云うと、周囲の状況を無視するエゴな性格のなせ
る批判されるべき判断となるだろう。
栃木山を見習ってだろう、余力十分で栃錦は1960年5月、引退。
「栃若時代」のもう一方の若乃花、後継横綱がなかなか出ず、や
めるにやめられず、衰えても現役を続けた。1962年5月引退だった、
子供時代、記憶にあるが、その頃、若乃花が小結くらいの佐田の山
の猛烈なつっぱりに一気に押し出された一番、それでなお現役を続
けた若乃花、初代若乃花は栃錦より醜い散り際だった、といえるだ
ろうか。責任は理想は不敗、だがそうはいかない、だが辞める状況
にないときは耐えて続けることこそ尊いのである。
余力あるうちに惜しまれて辞めるのが花、私はこれをエゴの欺瞞
と言いたい。
栃錦の弟子、栃ノ海、伝統を受け継ぐ小兵横綱。力士大型化の中、
糖尿病にもかかり、苦戦して八勝横綱と酷評されたが、私は実は一番
好きな横綱だ。大鵬に強かった。
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