ねずまさし『天皇家の歴史』三一書房、著者なりの天皇行状記、やや暴露趣味か

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 非常に著名な本だと思う。どれだけ読まれているのか知らな
いが。思うに、、明治以降、明治政府の国家神道政策で日本国
民はまるで強迫観念のように頭から天皇がどうにも離れない。
では明治以前、江戸時代は、中世はどうだった?古代は?庶民
は明治以降と同じようにいつも天皇が強迫観念のようなものだ
ったのあろうか?本を読んでもわからないが、明治以降の近代
の諸制度が現代人をしてノイローゼに至らしめたのは事実だろ
う、・・・・・「ねずまさし」祢津正志、1908年、、明治41
年生まれ、だから大正時代に教育勅語で育てられた。高市早苗
のように警察勤務の母親から、あの年代でも「教育勅語」を叩
きこまれたそうだが。だから、ともかく祢津正志は「天皇さま
はみんな徳に恵まれ、めぐみ深い立派な生き神様におわします」
と明治以降の教育で確信を持っていたという。

 ところが「青年時代に千古の聖典とされる古事記を読んです
っかり驚いてしまった」、「子供の時からの確信はゆり動かさ
れ、皇室尊厳の信念は崩れ去り、非常な幻滅を感じた」という。
「歴史の研究に専念する人間となって、天皇が実は私どもと同
じ平凡な人間であったことが、ますます明確に認識できた」

 『天皇家の歴史』がまず刊行されたのは1953年初頭で執筆時
期は1952年だったようだ。

 「日本では民主主義はまだ七年しか経っておらず、そのため
歴史的には過去の遺物と云うべき天皇をまだ大切に思っている
人が国民の大部分を占めている。そこで私は歴史上、ありのま
まの天皇の姿をしってもらうため本書を書いた次第」

 天孫降臨の解説から始まり、秀吉の時代に至るまでの間の
天皇の行状記と天皇に対する時代の権力者の態度との説明が、
上下の内容である。古い時代の天皇について祢津正志が資料と
したのは、古事記と日本書紀である。この二つの本に書かれた
意図と内容について、祢津は大きな疑問を持ったという。昨日
のことさえ断定できないのに、その古代の天皇の行状について
、結局はこの二冊に頼るしかなかったのだ。だからこの本の内
容は独自の解釈を祢津が行い、其れで説明するしかない、とい
うことだ。だから話は面白くなっている。その面白おかしい天
皇の行状記は江戸時代には川柳まで出来ている。祢津も川柳を
数多く引用している。

 江戸時代の川柳から「天皇から神秘や権威を剥がし。川柳で
嘲り去ったのは町人の反抗心の現れだった」という。明治まで
の庶民の感情は明治以降の庶民とは大いに異なるのは間違いな
いが、実際の政治権力者でもなかった天皇にそのような感情を
江戸時代の庶民は抱いただろうか?やや疑問と言えば疑問。

 「我が国最初の自由思想家、安藤昌益」という断定もはて、と
思える。古代の天皇を「専制君主」とか「圧制者」と言いながら
、他方で「朝廷は大和の豪族からなるゆるやかな連合政権であっ
た」それがどうこうと私も判断など出来ないが、これもそうかな
?と思えてならない。矛盾もあり、「絶対不可侵の専制君主であ
り、人民は生きた神として崇めながら怖れていた」といいつつ
「天皇の財物を盗むことが横行していたから、別に尊厳などさほ
どなかった」、・・・・・。

 ともかく資料は乏しいし、真偽は全く定かではない。それで
天皇行状記を書くのは無理があるようだ。一種の暴露趣味のよう
にも思える。ただ古文書の解釈だけでそう断じるのもちょっと。

 でも肝心の明治以降のことはさすがに書けない明治天皇がじつ
は後南朝という事実だ。歴史家はこれにふれたら以後仕事が出来
なくなるから絶対に触れないのだが祢津も同じことだ。明治天皇
で実は南朝に回帰した、と書く勇気ある歴史家がいないのは嘆か
わしい。
、いかがなものか、である。

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