佐藤達夫『戦力・その他』1954,法制局長官、長期の人事院総裁という権威による「戦力」の定義、改憲不要の名解釈だ

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 歴史的な戦後の法制官僚であり、1947~1948,1952~1954
と終戦後の重要な時期、法制局長官であり、1962~1974までの
長きに渡って人事院総裁という方である。wikiによれば造船疑獄
で佐藤栄作自民党幹事長の逮捕に指揮権発動を犬養健法相に持ち
かけたのはこの人だという。で、佐藤達夫、いや佐藤達夫大先生
は実は昭和天皇の最も近しい人物でもあった。

 で、官僚の最高権威のような、法務官僚最高権威のような方の
定義の、日本国憲法の「戦力」の定義なのだ。衆院選で大勝利し
た高市総理は憲法改正に乗り出す意向だそうだが、愚の骨頂とも
思える。極論でなく、憲法などなくていい、一般法規の積み重ね
でいい、イギリスは憲法などない。お題目化した条文など、権力
に悪用されるだけで有害無益と思われるが。右も左の日本は憲法、
憲法と言いすぎるよ。・・・・・がともかく日本国憲法は「戦力
不保持」条項がある。非常に世界でも特異だが、「紛争解決に軍
事力は行使しない」と云う憲法を持つ国は結構多い。ともかく佐
藤達夫大先生の説く「戦力」とは?だがちょっと聞いたなら、三
百代言的かもしれない。

 で、この本は何章も持つが冒頭が「戦力」である。あとは一種
の「法令関係文書」のようなもの、「解散権の問題」とか「懲罰
問答」、「地方特別法の話題」など。

 ・・・・・で「戦力」だが、普通に思えば軍事力とだろう。警
察では「戦力」には遥かに届かない。あくまで軍隊だろう。ただ
日本国憲法になぜこのような「戦力不保持」が規定されたのは、
戦前の日本のあまりに極端な軍事力偏重の軍事国家で周辺諸国に
あまりの惨禍を惹き起こしたから、・・・・・である。だが戦争
の記憶も薄れたら高市総理のような人物も現れ、人気を博するわ
けだろう。

 「戦力」が問題化は要は憲法第9条第2項にある「戦力不保持」
のためである。同条は前後に分かれ、大一段は

 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

 実は多くの国で同様の既定、「紛争解決に軍事力は行使しない」
という内容が憲法に存在するのだ。日本が特殊なのはこの前半で
はない。

 だがここで著者、佐藤達夫の解釈、前半の第一項について

 「自衛権も自衛戦争も否定していない」

 つまり侵略戦争を否定しているだけであるという。自衛権まで否
定は出来る相談ではないのだ。

 では第2項、後半

 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを
保持しない。国の交戦権はこれを認めない」

 さすがに、このような規定は日本だけだろうか?コスタリカは
軍隊を持たないそうだが。まず他国にはない、といっていい。

 佐藤達夫大先生は「いかなる目的でも戦力を持つことを禁止し
ている」したがって、この二つの条件を組み合わせると、

 「自衛権行使のために戦力に達しない実力を持つことはかまわ
ない」


 というのだ。詭弁というなら詭弁だが。

 なら、どこまでが「戦力に達しない実力」かとなる。

 で佐藤大先生は

 「およそ近代戦遂行の能力は持てない」ということ、

 つまり

 「日本が独力で国を守り得る力」にさえ達しなければいい、そう
である。


 で「ぼくの考えが一番すじが通っているつもり」だという。

 苦肉の解釈で、「考え方の大勢は政府見解と同じだ」

 独力で国を守れる国は限られているかも知れず、いかにも人
を食った解釈だが、現実に適合のための苦心の解釈であるとは
認めるしかない。

 だが、第9条こそナンセンス、というのはまあ常識だが、い
ささか以上に金科玉条化し、それを目の敵の右勢力。

 法制局長官によれは要は、

 米軍と協力して自衛できる軍事力なら戦力ではないと考えて
いい、ということだそうだ。迷解釈でも改憲不要の名解釈であ
ろう。

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