健康は芸術である、はるかに遠い道

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 「人生は芸術である」とはPL教二代目の御木徳近氏の言葉
だが、芸術とは完成はあまりに遠い、云うならば無限の道、ま
た夢幻とも云えるかもしれない。それに倣ってではいが、私は
「健康は芸術である」という言葉がよく頭をよぎっていた。つ
まり人間が個人差はあっても、健康からほど遠いかということ
だ。別に重篤な持病がなく、さほど健康に不安なし、として悠
然と生きているようでも、実際は不健康の要因を内部において
増やし続けている、限界状況といって差し支えない。完全に健
康な人間などいないのは当然だが、あらゆる意味で多様な不健
康を人間は宿している。

 私などは早くから重篤な持病を背負い込む羽目になったが、そ
れは国民病とされ、実際、有効な治療法などない腎臓病である。
腎臓病と云うとすぐ「人工透析」が日本では定番だが、透析とは
本来の腎臓の能力の10%しか有していない、あまりの欠陥「療法」
だが、療法とも言い難い。週三回死ぬまで、「腎移植」までのつ
なぎとされ、腎移植は最終解決のように誤解されているが実は、
生存年数は5年から10年とされる。およそ、この世で透析患者ほ
ど切ない存在もない。透析患者は「がん患者が羨ましい」という
話がある。ガンなら部位にもよりけりだが、どんどん有効な治療
法、薬剤が開発されているが透析患者には真の意味の有効な治療
法はない。

 早期に、私は誰も他人が慢性病を治してくれるわけではない、
といやでも悟ってしまった。病院が病気を治してくれるわけでは
ない。自分である。特に国民病たる腎臓病だが、別に腎臓病ばか
りではない。治すのは自分である。誰も助けてくれる道理はない。
当然である。治してくれなかった、と恨む必要もないし、妥当性
もない。健康は徹頭徹尾、自分の責任である。逆に言えば、そこか
ら有効な医薬品、医学的治療法を探って意味があるなら、・・・・
だが、依存心は命を失う大きな要因だ。自己責任と自分を叱咤する
しかない。

 15歳で「あと一週間の命です」と病院長に言いふらされ、「こり
ゃ、頼ったことが誤り」と悟り、自己責任として病と付き合うこと
を心に誓った次第。だが、健康とはあまりにかけはなれているとい
う現実、それは完成に至るには無限の道のりである芸術のように思
えてきたのである。地道な食養生しかない、というのは、これも、
誰も頼れないという健康への自立した精神を養うのには非常に好適
な病であった、・・・・・にしても闘病は甘くはない。単純に「
~は悪い」食品と括ることもできないとも思い知ることも多く、つ
まり絶対にいいもの、もまたないということである。無論、このよ
うな病気に「検査」は実は百害あって一利ない、ものである。「悪
いに決まっている」と常日頃、自覚な人間が検査の意味はないし、
治療の手段も持たない医学が検査でまずは稼げる、というのも欺瞞
と感じる。多くの検査は百害あって一利なしだが、世の中、私のよ
うな人間ばかりなら病院は皆、倒産だろうがそうなっていないことを
見ると、人がいかによく病院に行くか、ということである。

 ともかく健康は芸術、というしかないほど得難いもの、、はるか
遠いものということである。持病でこれを多少でも学んだことは収穫
であった。無論、芸術の千里の道も一歩を踏み出したくらいな所であ


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