佐藤春夫『日照雨』1954、実在の雑誌の女性記者との奇妙な軋轢。自らの乱心を「狐の嫁入り」の雨に喩える自暴自棄

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 「狐の嫁入り」は晴れているのに雨が降る、CCRのHave you
ever seen the rain?「雨を見たかい」の雨も、狐の嫁入り、の雨
である。「日照雨」は「そばえ」も「狐の嫁入り」である。そ
の字のとおりである。で佐藤春夫のこの『日照雨』とは、だ。
なお「日照雨」は「そばえ」と読むそうだ。

 佐藤春夫は「この作品の内容の一切がこの題名の一語に尽き
ているためである」で「照りつつ降るのは、けだし天象が『そ
ばえ』つまり、フザケているものとみてかく名づけた」と言う。

 その「ふざけ」である。一人の好色な老詩人(佐藤春夫)がいる。
彼は仕事の関係から、親子ほど年齢の違う女性雑誌記者と親密に
なる。個性のある並の容貌だったが、彼女の魅力はその容貌では
なく、その肉体の魅力にあった。新婚生活は半年足らずで夫は戦
死、戦争未亡人であった。子供は一人いた。

 彼女は老詩人をある講演会に送って行く途中で電車の中で急に
いきなり老詩人の手を握ったり、最初から何やら老詩人に好意を
示したり、老詩人もその気になり、その女性記者の正体を確かめ
たいと思い始めた。

 かくして老詩人と、要は佐藤春夫と女性雑誌記者の交際が始ま
った。数年続いた。彼女はキスまでは簡単に許したが、それ以上
は拒んだ。

 そのうち、彼女の浮気グセの噂がいろいろ聞こえてきた。若い
作家を追いかけたり、雑誌社の若い男といい仲になって仕事を全
くやらなくなる。そこでその女性記者を愛していた老詩人だった
が、その浮気グセを知って、その醸し出す妖術は老詩人を解放し、
彼女を破門する。これが老詩人の門下生に広まると、興味をもっ
た者たちが続々、老詩人を訪ねてそれについての話題を探ろうと
する。老詩人の感情はますます高まり、「私はこの不可解な女を
いよいよ浄瑠璃にかけて、この珍奇な愛人を征服してみせるぞ!
この化け物め!」

 で、彼女と非常にいい関係になったという若い作家から、彼女
は実は女性擬半陰陽であると知らされる。その結果、彼女の全く
傍若無人な行動も、理解しがたい面妖な心事も、その妖美と才能
の根源も、魑魅魍魎な変化、へんげのような「淫蕩な貞女」ぶり
も、彼女がある意味の肉体的な話題を極端に忌み続けた不自然な
までの柄にもない潔癖さ、それらが女性擬半陰陽で氷解する。

 老詩人も「憎悪というそれ自身で不快極まる心情から解放され、
快活に笑ってこの不可解な女の回想を、彼の如き凡夫の身にも大
慈悲大悲の心で抱擁することも出来るようになる」わけだ。

 老詩人、佐藤春夫は「この小説は愛情の小説ではない。といって
、決して憎悪の文学でもない。照りつつ降るが如くに、この作品に
は愛とも憎ともつかない、愛しつつ憎むか、私は憎みつつ愛するか、
恐らくは一如でなく、この背馳したものが同時に存在する筈である」

 これを世俗的興味から一種のモデル小説として、私小説の一種と
して読めば佐藤春夫の大人気ない態度に疑問を感じるだろうが、だ
がこれを佐藤春夫の云う「観念小説」というなら、愛欲についての
独自の考えであり、この女性主人公に象徴された現代日本人の倫理
的批判と見ることも不可能ではない。

 まあ、この作品の発表後、批判も多かったそうだ。褒める人は多
くなかったという。ごもっともだ。実在の女性、モデル女性が相当
に露骨に生々しく描かれている。だが根本的に佐藤春夫の自己反省
の欠落が、この作品を駄作としていると思う。








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