吉行淳之介『焔の中』1956、終戦までの一年間の作者の思い。実質、私小説だがあまりに弱々しい
岡山ゆかりの作家、吉行淳之介は本物の作家であった。無論、
作家のタイプは様々でも。両親は岡山の人、母親はあの吉行あ
ぐり、である。淳之介が2歳のとき、一家で上京している。19
24年、大正13年生まれだ。戦中派である。あの母親にみられる
並みでない洗練された繊細な感性の持ち主であった。
そこで『焔の中』焔は無論、空襲で街が焼かれる焔である。
だが酸鼻な印象はあまりない。筆致がそうなのだ。電子書籍
のP+D Booksで読むことができる。
1944年、昭和19年、B29による本土空襲が始められたその9月
頃から、日本が無条件降伏の1945年8月に至るまでの一年間を吉
行淳之介は書こうと思っていた。その時期のあちこちを掘り返し
、連作のつもりで短編で発表し、最後に手を入れて長編にしよう
という腹積もりがあったそうだが、それが結果的に実現できなか
ったという。
「藺草の匂い」、「湖への旅」、「焔の中」、「廃墟の風」、
「華麗な夕暮れ」これがセットになっている。確かに戦争末期の
雰囲気をよく描いていると思う。主人公の青年は無論、作者の吉
行淳之介だが、別段、反戦主義者ではないにせよ、戦争には基本、
興味を持っていない。
「藺草に匂い」では徴兵で召集された大学生の主人公、彼が、
即日帰郷を命じられ、兵営から出てくる話である。彼は「少しで
も嬉しそうな顔を表したら、その命令は取り消しになるという、
あやふやな状態に置かれている」のを感じて「顔の筋肉の一片も
動かしてやらないぞ」という気持ちを強める。
兵営の門から出てしばらくし、「嬉しさが爆発したように、胸
の中に渦巻いた」そして「途方もなく大きな声でやたら叫びたい
気持ちだった。僕はあたりに人影のないのを見定めて、ケ、ケ、
ケとわざとはっきり発音して、笑い声とも叫び声ともつかぬ声を
出し続けながら、前のめりになって歩いた」のである。
三島由紀夫こと平岡公毅の意図的な徴兵忌避、仮病ではない。堂
々たる即日帰郷命令である。
旧制高校、静岡高校時代の彼は友人と旅行しながら、二人の女を
連れて泊まった憲兵に会う。「隣の部屋の憲兵のやつ、昨日はいや
な目つきで睨みやがったな。この前、学校にやってきた憲兵は、便
所の落書きを調査して行くし、手がつけられないな」と友人が言う。
これらの青年たちは、まったく手がつけられない事態の中に押し流
されていく、という思いで生活している。
空襲の最中に、青年の家の女中は、これも手がつけられない愚か
さで、むやみに紅や白の粉を顔に塗りたくり、町内の婦人会長に叱
責される。青年の心の中には、「青春」はひそみ、「童貞」がうず
いている。青年はこう思っている。「青春というか、思春期といっ
た方が正確か、ともかくそれは僕にとっては、明るく美しいものの
要素よりも、陰気でべたべた絡まりついてくる触手のいっぱいはえ
た、恥の多い始末に困る要素の方がはるかに多いものであった」
青年、彼の家は空襲、5月の山の手空襲で焼かれる。彼は廃墟と化
した東京の街を歩き回る。彼は頭の中では性についての知識は持って
いるつもりだが、そういう知識と実際との間に差はない。彼は単に知
っていることを実行したのみである。
やがて敗戦の日
「敵という観念は、僕には甚だ希薄だった。銀座の舗装には米英両国
の国旗の形をペンキで大きく描き、その上を踏みつけて通ることで、
憎しみと闘争心を駆り立てる事柄を聞いた時、埠頭で労役に使われる
米軍捕虜を眺めた女性が『可哀そう』と呟いただけで憲兵に連行され
た、という新聞記事を読んだり、その他、それに類する数え切れぬ事
柄を見聞するたびに、僕はまず、つむじまがりの気持ちになった。」
という具合で戦時意識に高揚されないという若者は実は多かったと
思える。別に若者でなくても、いたはずだ。ただ小説の形で提出され
たら、「それ以外、どういう生き方があった?」とのつぶやきも聞こ
えてきそうだ。
一種の病弱者の吉行だけに、素直な記述だが、どうも骨太さ、強さ
に欠けている印象もまたぬぐい切れない。なんとも力の弱さをも感じ
てしまう。実質、自伝的というか私小説に近いが、何かパンチに欠け
るという読後感である。あの繊細過ぎる感性は戦時を描くにはやや弱
すぎるかもしれない。
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