江藤淳『小林秀雄』1961,講談社、難解な人物を難解に解釈した人物論

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 これは江藤淳にとって最高の力作と思われる。小林秀雄、あ
の批評家、煙に巻かれるようなあの著作の著者を「批評という
行為を彼自身の存在の問題として意識した」…最初の批評家と
江藤淳が考えている小林秀雄について、ついに小林秀雄が「
詩的な精神を持った批評家からひとりの詩人への転換をなしと
げる」までのすさまじい苦闘の過程を膨大な資料をもとにして
大いなる教官と尊敬の念を込めて感動深く書いた、・・・・
えらく長ったらしくなったが、とにかく力作なのだ。

 だが小林秀雄が何か難解なのと同じく、その人物論もまこと
に難解である、と云わねばならない。

 批評家、文学批評家は多いがなぜ小林秀雄は小林秀雄になり
得たのか、のである。小林秀雄も数多い著名人物を輩出の東大
仏文、で東大仏文族である。戦前において、東大仏文でも一般
に就職は至難であった。誰も書かないが、この人物論も書いて
いないが、やはり小林秀雄の生き方を理解するうえで重要だと
思う。

 小林秀雄がいかにしてあの批評家になり得たかである。それ
について江藤淳は小林秀雄と中原中也とその「愛人」との三角
関係だという。その結果の「失恋」で小林秀雄は自殺を考えた
のだが、「自殺の理論」を完成することによって、その過程で
「批評家」になり得た、というのだ。

 さらに仏文らしく小林秀雄に大きな影響を与えたのはランボ
オだという。江藤淳は「ランボオは彼に破壊を与えた。何を破
壊か。彼には充分には信じ得なかった『詩』であり、彼の内に
あって彼を拘束していた『父』の役割である」という。 

 小林秀雄の文壇生活は、その内面の激動がいったんは静寂と
なった時に始まった。昭和2年の芥川の自殺につづく混沌とした
、錯綜した文壇の新旧の交代劇である。文壇は左傾化を良心の
義務とするような思想の風潮の中、プロレタリア文学の疾風怒
濤となる。ここで小林秀雄の批評家としての地位が確立された、

 それは『様々なる意匠』、1929年、「改造」懸賞論文で次点
入選となり、一等は宮本顕治の『敗北の文学』であったのは、
次点とは言え、真の文壇デビューであった。これ以後、「文学
界」での活躍が始まった。

 その後、昭和10年前後の小林秀雄は「近代文学」同人たちに
より、マルクス主義、マルクス文学、つまりプロレタリア文学
だが、…‥それらに接近してたという見方に江藤淳は、江藤淳
らしくそれを虚像として退けている。それは戦時下の中国への
旅を中心とする文章は江藤淳の大いに弁護となっているようだ。
右的立場の江藤淳はここでも一貫していると思う。小林秀雄の
「社会化された私」という言葉、これも煙に巻かれるが、これ
について江藤淳の独自解釈を行っている。

 小林秀雄が「思想」と「人間」を探求し、その激動の過程で
、いつしか「人間」を見失った小林秀雄が、意外にも「菊池寛
という巨大な生活者の中に再発足する」家庭、正宗白鳥との「
思想と実生活」についての論争。まずズバリわかりやすい白鳥
と煙に巻く小林秀雄の論争は面白くもすれ違いである。

 何とも充実している!内容のだが難解な人物論、それは小林
秀雄が難解、ということなのだが、「批評家としての小林秀雄
の思想の全てが圧縮されてる」と江藤淳の言う「モオツァルト」
の「見事さ」を述べることが終章となっている。

 「小林秀雄の文学観を批判しつくしたいという野望が私に
なかったわけではない。だが、文学観の批判がいったい何で
あろうか、このような赤裸々な心を開いて私の前に立ってい
る一人の人間の存在の重さに比べれば」

 文学批評家に何を求めるか、だが私は小林秀雄は本来の意味
の文学批評家ではないと思う。文学へ特殊に寄生し、自らを独
自の展開をはかった、分かりにくい煙に巻くかのような難解な
言い回しをアイデンティティとした、まことに奇異な文学者で
あろう。                              

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