坂口安吾『狂人遺書』人間を突き動かすのは不合理な情念ではないかという安吾の思い


 坂口安吾、1906~1955,坂口安吾は1955年2月17日、桐生市
で亡くなった。その年、1月1日、発表されたという『狂人遺書』
別に安吾が自分を狂人として、安吾の遺書として書いたのでは
ない。豊臣秀吉の最期、それを独白体で描いた歴史小説である。
安吾の秀吉の解釈だが、そこに自らの生き方も投影しているはず
だろう。とりあえず狂人とは豊臣秀吉のことだ。

 坂口安吾は秀吉の内面をどう考えたのか、・・・秀吉は朝鮮出
兵を行うつもりは毛頭なかった。はじめは小西行長、石田三成と
相談して、明との貿易の再開を交渉し、あるいは明とも風下に立
ってもいいとさえ考えていた。そのため朝鮮を仲介役として貿易、
外交を進めていくつもりであった、のだが国内で諸大名を抑え、
権威を輝かせようという焦りから、自らの余命が短くなるにつれ、
それが強迫観念になったため心にもない、大言壮語を連発してし
まい、どうにも引っ込みがつかなくなって、ついに朝鮮出兵を実
行してしまった、というのである。

 さらに、遂に生まれた子どもの鶴丸が死んでしまったため、秀
吉はさらに絶望にさいなまれた。秀頼が生まれると、今度は関白
の位を譲った弟の秀次が邪魔に思え、、側室多数まで含め、抹殺
してしまった。秀次が狂気だったと言うが、実は秀吉こそ狂気で
あったのだ。

 二度目の朝鮮出兵、1957年の慶長の役、が始まってから、朝鮮に
無意味な非道な戦役が始まってからは、秀頼の前途への不安も加わ
り、精神は不安定の極となり、家康、前田利家に秀頼を頼むと落涙
した。

 で秀吉の最期の気持ちは

 「皆々は、おれをダワケを思うだろう。それほど出兵が心配なら
、なぜいますぐ撤退の命令を出さないのか、と。そこが、オレの恥
さらしのところなんだ。虚栄と見栄、むやみに威勢を張りたいだけ
のバカものだ。だから、こんな無惨なことになったのだ。せめて、オ
レの息のあるうちに、このバカを続けさせてくれ。オレの一生に見栄
と虚勢を貫徹させてくれ」

 ここまで秀吉が謙虚な人間だったとも思えないが、最後は超弱気で
あったのは事実だろう。

 つまるところ、安吾の最後の作品といっていい『狂人遺書』は、秀
吉の独白、告白体で、秀吉の遺書という形で書いたものだ。

 では安吾自身が自分の死を予期し、自分の遺書としての意味をこの
作品に託したのだろうか。・・・・・・まず、そこまで安吾は自身の
死を予期していなかったはずだ。だが過度の飲酒もあって急死した。

 安吾のその直後と言っていい急死は偶然というほかないが、だが常
に安吾は自身の死をも覚悟していたともいって、何の言い過ぎではな
いだろう。だから、この作品にも安吾の人生観、思想が投影されてい
る。人間を突き動かすものは合理的精神より、非合理的なものではな
いか、その非合理こそが人間の基底にあって中心の動機ではないのか、
という思いなのだ。理性より不合理なのだ。

 それの非合理的な情念で奔放に安吾は生き抜いた。安吾の文章で、
こうある。

 「芸術家は奔放に生きないと、よい芸術は作れない。変に処世の術
などを身につけ、当たり障りのない言動をするようになると、立派な
才能は死んでしまう」

 たしかにこれも、安吾の告白であり、その生涯を貫くものだろう。

 安吾、死の三日前、室戸岬で(足摺岬ではない!)

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