熊谷守一『へたも絵のうち』平凡社、良家に生まれ育った著者の自在な自由な生き方、考え方
熊谷守一、岐阜県の出身だが父親は製糸業で成功し、岐阜の
市政以降の功労者で初代岐阜市長、さらに衆議院議員という恵
まれた家庭の生まれであるが生き方は破天荒で自在。この本は
1971年刊行だが、今なお連綿と出版されている。刊行時点で90
歳過ぎ、当時、脳梗塞の後遺症も多少あったがまだお元気だっ
たようだ。
だがその顔立ちを見ても非常に彫りが深く気品を感じさせら
れ、良家の人だなと思わせる。
朝はまず庭に出て園芸を多少、テレビなどを見ながら奥さんの
仕事が終わるのを待って勝負度外視の碁を打つ。昼から夕方まで
は昼寝する。夜に仕事をする。かっては絵を描く気になれない時
が多かったようだが、「しかし、今は仕事します。今は少しヤル
気があるのです」この本の序文は「はじめに」だが、これが実に
著者の人間としての存在感を感じさせる重厚な内容だ。
で本文は著者、熊谷さんの実に個性的な生き方を描く自伝的内
容である。前述した恵まれた生家の話とか、明治時代の美術学校
の話や、山から切り出した材木を川に浮かべて運ぶ「ヒョウ」に
なった話とか、・・・・・だが根底にある著者、熊谷さんの自在
な個性である。
その時点で90歳、確かに長く生きてきたのは事実だが、ただ長
生きしただけのことで、別に90年なんか少しも長くはないという。
生まれは恵まれ、自在奔放に生きてきたわけで
「普通の人は、いろいろ考えたり、無理をしたり、だましだまさ
れたりで、くたびれてしまい、そう長生き出来ないでしょう」
という。熊谷さんの話も、刊行二年前、だから1969年に刊行され
た坂本繁二郎の『私の絵、私のころ』同様に、実際は日経のあの「
私の履歴書」に連載されたものだそうだが、熊谷さんは「坂本さん
はお金にも名誉にも関心はなかったが」、・・・・「いい絵を描か
ねばならないという気持ちは持っていた」という。だが熊谷さんに
はそれすらないのだ。
熊谷さんは、別にいい絵を描こうとは思わない。そればかりか、
「絵なんてものは、やっているときは結構むずかしいが、出来上が
ったものは大概アホらしい。だが人はその価値を信じようとする。あ
んなもの信じ込もうとする人間とは本当にかわいそうです」
実に開明な自由な考えだが、また同時に世間の誤解を招きやすい。
石ころを眺めているだけで何年も暮らせるという、のは根底に育ち
の良さがある気もするが、仙人とも言われていた所以である。禅的で
もあるが、そんな理屈っぽいはずもない。
そこで本に収録されている熊谷さんの絵が意味を持つ。その絵を読
者は見て、芸術の意味をいやでも考えるようになるのではないか。
芸術と勿体ぶったところで、では自分や家族が重い病気になったとか、
では絵画どころではなくなるだろう。疲弊し切った村に来た時、こんな
ところで絵を描いていいのか、と考えた。・・・・・などという文章を
読むと、いわば何気ない話でも絵画とは何かという問いを投げかrけられ
るようだ。
絵をことさら勿体ぶらないというスタンスの熊谷さんの生き方、考え
にふれたら、著者の生き方に惹かれると思う。
梶山季之主宰だった雑誌「噂」だっったと思うが、熊谷さんが連載し
ていた。また取り出して読んでみたい。
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