井上靖『敦煌』を再読、想像力を駆使だが、絶対にあり得なさそうな、セコすぎる空想の連続。基本はいつもの井上パターン
さて、井上靖の『敦煌』、昭和34年、1959年、雑誌『群像』
1月号から5月号、何と5回の連載で収まっている。敦煌の千仏
洞の経典など、その秘密を作家の想像力で描いたものである。
敦煌を知れば知るほど、井上靖のこのような空想は絶対にあり
得なかったとは思うが、それはそれとして西夏文字、科挙の試
験に昼寝で遅れる、という発端はこれまた想像力によるが、こ
レまたあり得ない、西夏文字はいいとして、もうすこしマシな
想像ができなかったか、と思ってしまう。
まずスジを追う。
思わぬ不覚の昼寝をしたために、進士の試験を受けられなかっ
た趙行徳。都の開封の路地裏で肉に切り売りの対象にされていた
女を救う。女は西夏の女でお礼にと言うべきか、西夏文字を記し
た紙をもらった。そこで西方奥地の西夏とその文字にいたく興味
をいだいた趙行徳、その興味関心に促され、飄然と西方に向かう。
・・・・・・でも進士の試験、再度のチャレンジをつゆ思わずの
この行動は確かに小説だ。
西域と中国本土をつなぐ河西地方にはいったところで、西夏の
漢人部隊にとらわれて一兵卒に組み込まれてしまう。だが朱王礼
という名の部隊長に気に入られ、ウイグル軍との激しい戦闘にも
生き残って,甘州に入城する。が、ここでウイグル王族の娘とい
う女にめぐりあい、ひそかに彼女を保護したことで趙行徳の運命
に大きな影響がもたらされる。この主人公の女性思慕、は井上靖
の小説の根底のパターンでそれが場所と時間を変えて様々に、だ
が。
趙行徳は彼女を朱王礼に預け、さらに西夏の根拠の地、興慶に
至って念願の西夏文字の学習にはいるが、この頃、西夏と吐蕃と
の間に戦いの機運が生じ、趙も再度、朱の軍に身を投じる。が、預
けたはずのウイグルの王女の娘は西夏の王の長子の李元昊のものと
なっていて、趙は失望する。そこでさらに女の不可解な自殺で絶望
は深まる。こうした中で趙は仏教教義に惹かれる。
西夏軍は吐蕃軍を撃破し、粛州に入り、さらに孤島のように存在
していた漢人の小王国、瓜州も支配下に置く。李元昊は既に王位に
つき、朱王礼も部将に昇進、ここではからずも、朱は例のウイグル
王族の娘を奪った李元昊に反乱を起こす。ここで趙行徳の運命は反
転する。彼の属する朱の部隊は戦いに敗れ、西方の沙州、敦煌に入
るが、この頃、趙は仏教に帰依し、経典は宝となっていた。
李元昊率いる西夏の軍は朱の反乱軍を追って沙州に入る。支配者
、曹賢順は漢人だが、とうてい抵抗できないと城を焼いて撤退を決
意するが、趙にとってこれまで集めた経典は失うに忍びなかった。
おびただしい仏教経典、趙はこれを郊外の石窟、千仏洞に秘匿保管
を決意、ついにいそれを成し遂げて、城の炎上が空を染め上げる頃、
ウイグルの王女から受け取っていた玉の首飾りを隊商の頭目、尉遅
光なる人物に奪われようとする。趙は必死で格闘、深い傷を受けた
趙行徳は、昏睡状態の中で朦朧となっていく状況で物語は終わる。
ただどうせ想像で描くなら、もっと洗練された想像が会ってしか
るべきとは感じる。言葉は悪いが昼寝で進士の試験に遅れ、という
想像力はあまりに貧相で可能性がひくすぎる。ウイグル王女からも
らった玉の首飾りの奪い合いも、・・・・・もうすこし、想像力に
値する想像ができなかったのか。石窟の略奪に向かった駱駝夫は三
度も雷で全滅など、ちょっと苦笑だ。
ともかく西夏は謎、だが敦煌の石窟の経典の開明は現実だ。個人
一人がどうこうできる量ではない。中盤の中だるみも興を削ぐ。
想像力がチグハグを生んでいる気がするが、ともかく小説化など
無理と思われていた敦煌石窟を何とか小説化した、のは功績ではある。
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