井上靖『蒼き狼』1959,井上靖の歴史小説では一番の傑作たるを失わないだろう
1959年、昭和34年は井上靖が前半は「群像」に『敦煌』を
連載、後半では「文藝春秋」において『蒼き狼』という生涯
における代表作を連打した年である。井上靖は日本の歴史も
の、平安から戦国、また中国、西域もの、また近代史におけ
るロシアとのかかわり、『おろしや国酔夢譚』、元朝に圧迫
される高麗を描いた『風濤』、まさに多彩を極め、作品も多
いが、私は『蒼き狼』こそは随一の傑作と考える。余聞とし
て大岡昇平に「『蒼き狼』は歴史小説か」と因縁をつけられ
たこともある。大岡は「史実に忠実に書け」と単に言ってい
るにすぎないが、井上靖は「元朝秘史」など、十分すぎるほ
ど資料にあたっている。その上でのロマンとしての小説で、
論争は常識論の井上靖と片意地な大岡昇平で全くのすれ違い
に終わっている、のも至極当然だろう。
そもそも歴史など、昨日のことさえ不確かなものだ。まして
遠く過去の歴史、要は勝者の公的史実が残ることが多いが、そ
れが果たして全面的に真実であるかどうかは、何の保証もない。
その年、先行した『敦煌』はいかんせん、具体的な史実の資
料もないにひとしく、全てと言っていいほど、作者の想像力で
書き上げたものだ。敦煌の千仏洞、誰が、なぜ?など判然とす
る道理もないから、ひたすら想像力、それがあまりにセコく奇
妙で、・・・・・「これはちょっと」と正直、感じるが、『蒼
き狼』はとりあえずは正史である『元朝秘史』があり、その他
にも歴史資料もかなり存在する。それらを十分に井上靖は渉猟、
学んでそのうえでロマンを書き上げている。
蒼き狼、それはモンゴル帝国の創始者、元朝の太祖たるジンギ
スカンの生涯を描いた小説だ。作者は、モンゴルの一小部族の首
長の長子として生まれた主人公が、比類なき勇猛さと叡智によって
限りない困難と闘いながら、ついに人類史上空前の大帝国を樹立
するに至るまでの過程を克明に語り、二つのテーマを設定してい
る。
まず主人公、ジンギスカンの女性不信である。それは「男は戦
闘で自分の命を失うことを辞さないのに、女たちは合戦に負ける
とまず敵方の男たちに従順となる」
ジンギスカンの母、ホエルンも妻のボルテもそうであった。そ
のために彼は自分や我が子のジュチの身体の中を流れている血は
モンゴルの血ではなく、宿敵メルキトの血ではないかという、疑
念に絶えず襲われていた。そのことで彼は敵方の女には常に凶暴で
あり、苛酷な態度を取らせた。「合戦に勝った時は、宜しく敵の女
たちを寝台の上に並べ敷きつめ、それを褥として寝ることである」
と言い切っている。
だが、メルキト族きっての美人とされた忽蘭(クラン)の激しい抵
抗に遭遇し、「もし、汝が汝の妻に対するよりも更に強く、私に愛
情を持っているならば、汝は私の体を奪うがよい。若しそうでなけ
れば、どんな手段を用いようと、私は汝のものにはならない」と言
われてから、彼は忽蘭を心より、愛するようになり、、彼女を常に
戦闘に同伴させ、遂に彼女の希望によってヒマラヤの向こうまで遠
征しようとするに至ったのだ。
で第二の主題は、モンゴルの太祖は蒼き狼と白い雌鹿との間に生
まれたという民族の伝承により、もし彼が真にモンゴル人ならば、
五十歳になった時、狼になると教えられ、ひたすら狼になることを
決意する。
「蒼き狼は敵を持たねばならぬ
敵を持たぬ狼は狼ではなくなる」
と信じ込み、
「狼の群れは、興安嶺を超え、天山を越え、祈連山山脈を越えねば
ならぬ。蒙古高原のあらゆる帳幕をより美しく、より立派なものとす
るために、我々はそれをなさねばならぬ」
以上の二つのテーマは巧妙というべきか、ごちゃまぜに、渾然一体
ともなって物語は進んでいくが、彼が宿敵を一つ倒す度に、その夢が
壮大となり、その行動が豪胆になるとどうじに慎重になっていった。
その過程がうなるほど上手く語られている。主人公とそれを取り巻く
肉親たちや部下の猛将との人間関係もいい」
それにしてもジンギスカンという歴史的人物を主人公としたことで
、作者の激しく生きた人間を描ききっている。資料は十分あり、さら
にそこに学者の作文を打ち破る広い翼で飛び立ったのである。
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