今東光『東光金蘭帖』(中公文庫)恩師16人についての人情思い出話。谷崎潤一郎、川端康成への完全服従の礼賛は醜態


 今東光が、初版刊行の1959時点でそれまでいろいろな面で
深く接触し、多様な意味で影響を受けた恩師知友16人につい
てその人情思い出話を語ったものだ。菊池寛、横光利一、川端
康成、片岡鉄兵、谷崎潤一郎、直木三十五、宇野千代、佐々木
味津三、藤沢清造、郡虎彦、田村魚菜、鳴海うらはる(鳴海要吉)
などだが、現在ではもう忘れられている作家たちもいる。歌人
の鳴海など全く知られていないだろう。さらに東郷青児、鳥海青
児、山田耕筰などもいる。

 実際、人情思い出話を語る今東光の率直な筆致は実に精彩があ
るのだが、問題は谷崎潤一郎、川端康成へのあまりの、完全にゾ
コンの帰依ぶりと完全礼賛である。かって梶山季之主宰で「噂」
という雑誌があった。二年か三年で終わったが、そこでも今東光
は川端、谷崎絶賛に終始している。今東光の特に川端への服従と
礼賛は稲垣足穂も厳しく批判しているが、この二人については、
この本には必要ないと言うべきである。

 逆に言えば、服従関係にはなく完全礼賛でないたの人物について
は面白くもあり、有意義な文章だ。概して今東光という男が傍観的
な態度が取れる人間でなく、交友関係でも相和して感涙にむせぶと
か、逆に衝突して喧嘩別れというケースだ。基本的にすべて激しい
接触、交際を通じて把握した人物観である。まずは実に個性的で独
自の交遊録だが、無論、谷崎と川端は除き、である。

 「噂」では今東光は菊池寛と大衝突したという文章もあった。こ
の本では菊池寛が怪しげなゴロツキたちに脅され、金をせびられて
「金か、あるよ。僕は金は持ってるよ。だがね、君たちにはやらな
いよ。イヤだね」と非常に特徴ある黄色い声で突っぱねたのを見て、
今東光は、諾否を明確にすることの大切さを教えられた、という。だ
から友人たちに本を貸してくれ、といわれても、全てきっぱり断った
という。

 またこの本の初版刊行の二年前、昭和32年、1957年に今東光の老
母を多磨墓地に葬ったとき、ふと菊池寛の墓を見つけ、読経をほど
こした時のことを述べ、「菊池は地下で、今よ、もういいよ。短い
お経で十分だ。と言いながら、袂にジャラジャラ銀貨を揺らし、お布
施を出さないと気がすまないような顔を思い浮かべた」さすがに、も
らっていくらの坊主根性だ。

 菊池寛とはその後、大衝突して絶交した、これは「噂」に詳しく述
べていたが、それを関連する話だ。横光利一の部分だ。発刊当時の「
文藝春秋」が直木三十五の書いた「文壇諸家価値調査票」というゴシッ
プ記事を掲載した所、立腹した横光利一が今東光の家に駆け込み、二人
は相談の上、その席でそれぞれ反駁の文章を書き、今は「新潮」に、
横光は「読売新聞」に宛てて投函した。その直後、横光は川端に菊池寛
に背くことの不利益を説得され、新聞社に駆けつけ、間一髪で怒りの文
章を回収したが、今の怒りの文章は「新潮」に発表されてしまった。そ
れで今は菊池寛と衝突し、干されて長く不遇な時代を迎え、横光利一は
優遇され、文壇の寵児となったという。横光は原稿回収について今には
何も話さなかったという。

 直木三十五が仏門に入った今を心配し、今を文芸家協会専属の僧侶と
して月給を出そうという案を出した。文士も金は乏しいから相互に好都
合という考えだったが、結局はアイデア倒れになった。

 旗本退屈男でその名を残す佐々木味津三は元来、純文学志向だったが、
破綻した親戚の生活のために心ならずも大衆文学に専念したという話。
佐々木味津三は不遇だった尾崎士郎を見抜き、遠からず尾崎士郎の時代
がかならず来ると断言していたという。

   佐々木味津三

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 とまあ、その記述は辛辣というより、温かみのある観察的な内容だ。

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