武者小路実篤『我が人生の書』1953、根底にひそむ楽天性と自信。どこかとぼけていて魅力がある

 ダウンロード (8).jpg
 武者小路実篤は1946年、占領軍により公職追放され1951年
に解除された。戦前といいうか戦時中に日本文学報国会劇文学
部会長など戦争協力を問われた。菊池寛も公職追放された。菊
池寛は追放中に死亡した。その間『半自叙伝』などを執筆して
いたと思う。実際、かなり主要な文化人が追放処分された。菊
池寛などは戦争を煽ったと批判もされたりするが、あえて戦争
反対と言わずとも、あの時点では可能な限り良心的な言動を行
っていたとは思う。武者小路実篤は戦前、平和主義思想、トル
ストイに心酔という思想傾向はその通りだが、欧州旅行で白人
の人種差別に怒りを覚え、白人のアジア支配からの解放という
思想に共鳴し、結果的に戦争に賛同という言動になったのも、
やむを得ない面はあったとは思える。だが戦争の惨禍はすさま
じかった。追放中も新しき村運動に邁進、解除後は芸術院会員
に復帰、また文化勲章も受賞した。解除の1951年、昭和26年で
あった。

 そこで1953年、昭和28年の著書である。心の中にさまざまな
思いが流れていた。

 人生についての、人についての随想集である。あの時代、時点
ということを読者も心得ておくべきだと思う。

 その話し方は独特なものだ。

 「人間に生まれたことがよかったのかどうか。生きているうち
には分からない。死んでしまえば分からない。しかし自分が生ま
れた以上は、死ぬまで生きねばならないのは事実だ。この事実を
認めて、なるべく愉快に生きてゆきたいと思う。しかし人生はい
つも楽しいことばかりではない。しかし苦しいことばかりでもな
い。生きていることを幸福に思っているのは事実だ。しかし人間
はいつまでも生きられるものでもない。・・・」

 この話し方、「しかし」でつながって、果てしなく続くのだ。
武者小路さんの思考は自由な対話だという感じだ。「しかし」を
とれば、そのまま戯曲になりそうだ。武者さんが戯曲を愛好した
のもこの対話的思考があるからだろうか。それをあるがままの肯
定と言い切ることもできないだろう。単に楽天性でくくれるもの
ではないと思う。

 でこの著書の中「私の受けてきた教育」という章は自らの生い
たちを語り、興味深い。

 子供時代から「他人より自分が優っている、少なくとも頭がい
いという自信はいつもあった」とある。武者さんが「自己を生か
す」ということを言い続けてきたのも、ある意味、このような自
信があったためでもあろうか。若いころは負けずきらい、「今に
みろ」ともよく言っていた。

 「不得意な学科は音楽と習字と図画と作文だった」むろん、子
供時代の得意不得意は必ずしも絶対ではない。人まねしない性格
は、かえって個性あるものを生み出したと思う。子供の自在な作
文がそのまま伸びたのが武者さんの文学という気もする。

 中学時代は「いろいろ人の伝記を読むのが好きだった」とある。
人生の哲学を求め、「トルストイが一番大きな影響を与えた」と
ある。論語も愛読されたようだ。「今は東洋的なものが自分の考
えに多くよみがえってくる」武者さんのちょっと宗教的な理想主
義はそのような部分から養われたのだろうか。

 「母は男の子には金の心配をさせたくないと云っていたが、こ
れが教育でよかったのかどうか」むろん、世間的には特権階級で
ある。武者さんはお金について「正当な考えをいまだに持てずに
いる」子供時代の感覚をずっと持ち続けるのは幸福な人ではある。
この世の世知辛さ、戦中から戦後の動乱、混乱を思えばだ。

 一種の世間離れだ。真摯で強情で楽天的で、どこかとぼけてい
る。それが魅力だろうか。戦後の日本の軍備についてもふれてい
る。でも軍備を語るに向いたキャラクターではないと感じる。

 志賀直哉は戦前は小説の神様、とあがめられたが戦後、仕事は
実質、やらなかった。だが武者さんは戦後も活動し続けた。その
道は一貫していたと思う。

この記事へのコメント