河盛好蔵『文学空談』文藝春秋新社、1960.あまり評価されない井上友一郎の作品の真の価値を発掘している

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フランス文学出身の文芸評論家、河盛好蔵さん「文学空談」
のベースはやはりフランス文学であると思う。「空談」とは
云うならば「むだばなし」というくらいの意味だろう。実際、
河盛さんは自分自身のことを「町医者」と呼んでいたそうだ。
文芸評論、文学評論の上での「町医者」、フランス文学で磨
いたセンスがベースでも、スタンスは庶民である。庶民が、さ
さいな妙な訴えを発することがある。その相手を町医者が行う
といおうことだ。そのコンセプトだ。でも空談は謙遜であり、
そのレベルは高い。

 空談の中では、永井荷風、佐藤春夫、コクトー、ランボー、
マラルメとか東西の文学者が河盛さんらしい、滋味深い、また
克明な観察と批判精神で書かれている。

 あまりに著名な大作家、大文学者ばかりではない。日本人の
井上友一郎、田宮虎彦にもふれている部分だ。この記述がその後、
中央公論「日本の文学」田宮虎彦・井上友一郎にも生きてその解
説に結実している。

 井上友一郎はあまり世間一般、文壇でもさほど評価されない傾
向がある。『日本ロォレライ』は世評の高くなかった作品で、か
なり味噌糞に評されたようだが、そこは河盛さんだ。

 「『日本ロォレライ』は井上友一郎にすれば珍しくロマンチッ
クな作品である。この作者の夢というか、こころに秘めた憧れと
いうものを仄かに感じさせてくれる。戦前の作品で丹羽文雄の劇
賞をうけた『残夢』という作品があるが、この作品にあるひたむ
きなものを、『日本ロォレライ』にも見ることができる。最初は
面白い、中間小説を書くつもりで書き始めたと思うが、いつの間
にか、主人公のゴロちゃんと一緒に、焼け跡のビルに済む女性の
正体を突き止めようとしている。何か作者を駆り立てる情熱、も
しくは感興が流露としてよい。最後に小菊という女性がロォレラ
イの妖精のような妖しい美しさを帯びてくるのは見事だ」

 私は世評が高くなった『日本ロォレライ』の真の価値を見抜い
て高評価を行った河盛さんのすばらしい文学眼だとおもぅ。

 さらに、やはり世評の高くもなかった、やはり井上友一郎の『
受胎』を傑作として激賞している文章。私は河盛さんの文芸評論
としても白眉と思う。

 「『受胎』はすぐれた思想小説として読むことが出来る。ここ
では人間の執念が、手を変え品を変え、執拗に追求されている。

 では受胎とはどういう意味だろうか。作中にある文章『声はたし
かに肉体から出る。だが草八はそれを肉体と考えたくなかった。肉
体以前、いうならば吉田という人間の出来上がるその以前に、ふわ
リと天来のわざによってそこに宿った神秘として受け取りたいのだ。
それこそ芸と草八は思いたかった』その天来の神秘を、本当に自分
の中に受胎させようとして、悪戦苦闘するのはこの小説のテーマで
あろう。少なくとも私はそのように解釈する。さらに草八の執念に
圧倒されるのである。最後の部分で草八の言葉を『痛烈な皮肉と聞
飯田』という「作者」の言葉が納得できる。繰り返して読むうちに、
それまで読みながしていた部分が新たな意味を持ってきたり、複雑な
ハーモニーを奏でる。主人公の『嫉妬とも羨望とも屈服とも尊敬とも
共感ともつかない何とも不安定な気持ち』を見事に表現した、充実し
た密度の濃い傑作である。

 私は河盛さんが井上友一郎の『受胎』を発掘、高評価したのは河盛
さんの文芸評論でも白眉だと思う。

 さて、作家の晩年について永井荷風のいささか惨めな模様を推察し
「自ら模倣した、それも拙劣に模倣した作品ばかりで、筆力の衰えは
痛ましかった」と厳しく批判し、「老いたる文学者に課せられた掟は
沈黙か現実参加のいずれしかないであろう」。

 空談という控えめなタイトルだが、その下で自由自在に語る、とい
うのは河盛さんの得意中の得意だろう。だが、ざっくばらんでも過た
ず的を撃ち抜くのが河盛さんだ。井上友一郎の作品発掘、高評価はそ
の代表だろう。

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