セリグマン『魔法』平凡社、人間の夢の限りない広がりと深さを静かに教示する
セリグマンとは超現実主義というか超現実派に近い画家で
、また美術史家でもある。超現実派はその後、ブルトンを中心
にパリで魔術あるいはの呪術を研究したが、セリグマンにもそ
の傾向がある。呪術学者というものはヨーロッパには多いそう
で、セリグマン、J・G・フレーザーやL・ソーンダイクらの学術
書を参考にしながら、この一般読者向けと思える解説書を見事
に仕上げている。
セリグマンは、呪術に邪悪な悪魔的傾向も認めるのだが、そ
れだけではなく、呪術師にヨーロッパ文化への刺激者という側
面も見出す。中世のヨーロッパにおいては、盲目的なキリスト
教信仰を補うものと云うなら。呪術的精神をもった学者たちが
、真の「事物の効用」について、「多くの場合、欠点だらけ」
であったが、研究を続けていることなのだ。
呪術はキリスト教の場合だけではなく、古代世界でも思考す
るための刺激であった。こうして古代オリエントの話から始まっ
て、メソポタミアの神々や古代ペルシャのゾロアスター教、ヘブ
ライの聖書の中の呪術、さらにギリシャローマの予言者や占星術
師たち。
彼ら、とくにキリスト教の確立以後の予言者の歴史は、まさし
く受難の歴史である。なぜなら、それはローマ皇帝は予言者に相
談してもいいが、民衆は予言者に相談はしてもいいが、未来を占
ってはならなかった。
教会の呪術対策はまことに苛酷を極めた。教会に根深い不満を
抱いていた庶民は、民衆は、中でも絶望した中世の濃度は、古い
神々を夢見たのである。なぜなら、新しい神の代理人は苛酷な主
人だったからだ。「悪魔の宴会」で、農民は自由にふるまって欲
望を解放した。もし、それがサタン的と云うなら、サタンに味方
してもいいと、これらの欲求不満の農民は考えたのである。
呪術の歴史は偉大なる「妄想家」たちの歴史であると云っても
いいが、それは鉛を金に換えようとする錬金術師の金属変換の夢
にも当てはまるという。塩酸もリンも彼らが発見したのである。
この夢も云うならば、一種の神への反抗となる。この夢は実はキュ
リー夫人の化学的功績にまで及んでいる。
この本の「魔女裁判」の章を読むと、ただ我武者羅に罪人を作っ
ていく支配者の迫害のメカニズムにも慄然とするが、「魔女裁判」
はその「魔女」の対象を変えて現在にまで残っているのではないか。
「脱炭素原理主義」はドグマの発信地であるヨーロッパの人々がマ
ルクス主義の失墜によって新たに編み出したCO2の「魔女」化であ
ると私には思えてならない。
「魔女」は次々と共犯者を白状しなくてはならない。かくして果
てしなく死刑執行人は職を失うことはなかった。自由の叫び声や独
創的な思想の表現は、支配者にとっては悪魔の所業であった。
この本は分厚い。だが内容は割と具体的であり、悪魔や護符や宇
宙図に関する豊富な挿絵もあって退屈しにくい。通常、教育など教
えられるヨーロッパの歴史がその表面、「陽」の歴史なら、セリグ
マンの著書が描いているのはヨーロッパの裏面、「陰」の歴史であ
る。どちらも真実と思えば、歴史認識も厚みを増そうというものだ
ろう。何か人間の夢の底知れぬ深さを感じさせてくれる本である。
著者カート・セリグマン
Kurt Leopold Seligmann (20 July 1900, Basel – 2 January 1962, Sugar
Loaf)
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