森崎和江『慶州は母の呼び声・わが原郷』ちくま文庫、生まれ育った地、朝鮮への望郷
さて、森崎和江さん、1927~2022,この出生年、没年は私の
戸籍上の「母」とほぼ似ている。戸籍上の母は1925~2021であ
った。似ているのは出生年、没年だけで精神性は天地以上の差と
感じる。……と思わず愚痴が出てしまう。帰国後は一貫して福岡
県に居住、活動された森崎さんである。
戦前、大日本帝国の植民地であった朝鮮で17年間、暮らした
という著者、森崎和江さん。出生の地が慶尚道大邱、17歳で単
身、日本に現在の福岡女子大学卒業。1944年に日本に帰った、
というのか渡った。
「敗戦以来、ずっといつの日かは訪問するにふさわしい日本人
になっていたいと、そのために生きた」とある。
筑豊の炭鉱の町に移り住み、「地上の権力に意を注がず」、「
それよりもおそろしい地下の暗黒とたたかっていた」人たちの中
にやっと自分の依拠すべき精神の核というべきものを発見し、や
がて、柔軟でありながら骨太で強力なメッセージ、著書、文章を
世に送り出した。
森崎さんの「ははのくに・朝鮮」への情念の深さ、強さは、恋し
くても恋しいとは言えない切なさ、苦渋からくるのだろうか。著者
は記す「わたしの生活が、そのまま侵略なのであった」
この本は著者、森崎和江さんの幼年、子供時代、少女時代の成長
の記録でもあり、慶州中学の初代校長を務めた父親の、それなりに
精一杯、全力の真摯な生き方の記録でもある。さらに36歳でこの世
を去った母親への鎮魂の歌でもある。母親は朝鮮で亡くなったので
ある。著者は小説家というよりルポルタージュライター、思想家と
いうべきだろう。その著者が、いかに育てられたのか、ということ
が透明性の高い文章でつづられている。
敗戦後の日本で「植民地での人生に対する灼けつくような自問」
を内に秘めた父親の「あの生徒たちは一人でものを思うとき、日本
語を使っているのだろうか」という言葉は、やや問題もあるが、人
間としての誠実さが集約されていると思える。
「17年間もあそこを食って」
と考えて以来、厳しく自己反省、自問を続けている著者であった。
この記事へのコメント