小林秀雄『感想』1959,東京創元社、小林秀雄の「わがまま」とは?

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 この本は昭和34年、1959年の刊行だが、そうすれば前年、昭
和33年、1958年に『近代絵画』という評論集で小林秀雄は読売
文学賞を受賞している。『近代絵画』について小林秀雄は「絵
を愛する人間の、わがままな感想文に過ぎない」と書いているが、
そうなると翌年のタイトルはズバリ『感想』。だから、文学者の
わがままな感想ということは免れない。なんとも実は辛い文学者
としてのそれまでの道を虚心坦懐に、ごくごく当たり前に自らの
人生から目をそらすことなく、感想、わがままな感想ということ
だろう。

 小林秀雄という人が特別、わがままなのか、ありふれているの
か、それも一介の読者にはわかるわけがない。ただその文章は、
評論は、まったくもってわかりにくい傾向もある。わがままな人
は、自分の書いた文章が人にわかってもらわくていい、お構いな
しだからあんな評論が書けるのだろう。といって学者の文章のわ
かりにくさと、小林秀雄の文章のわかりにくさは異なる。学者的
生硬い悪文こそ小林秀雄がもっとも忌み嫌うものだろうから。学
者、研究者的スタンスから全く縁遠いのが小林秀雄でもある。

 紛れもな小林秀雄の文章は晦渋を極める。やはり常人ではあり
得ない思考密度というものを持っているのだろうから、読者に読
みにくさを叩きつけるのも当然なのである。読者は小林秀雄の評
論の独自なスタイル、緊密で自己流の思考、のために緊張を強い
られる。だが、端的にいって小林秀雄の文章はたしかに名分の味
わいがある。

 とまあ、ひとくさり、だがこの本は6セクションに分かれてい
て、文学、社会、美術、旅行記、スポーツ、人物論、講演録とな
る。そこに含まれるテーマもさまざまだが、一貫しているのは、
小林秀雄自身によって考え抜かれた緊密な思考の結果の文章だろ
う。とりあえずの、間に合せの文章はない。

 独自の決めつけ表現は多い。「生命とは自我のことだ。人間と
は自我のことだ。これは独断であろうか。歴史的人間という人間
の解決のほうが独断ではないのか」

 こんな、ことも書いている。要するに自分を離れて何もないで
はないかだ、歴史だって文化も、だいいち宇宙だって自分がいな
いならないだろう。知識人の振リ回すイデオロギーのレッテルは
便利そうでも、要はレッテルではないか、と。当時は日本、やた
ら社会主義思想が圧倒的だった。そのレッテルから自立、それは
一つの覚悟であり、それを無類の緊密な思考で実践し抜く、なの
だ。この本のどの部分を読んでも小林秀雄のあの独自の思考の匂
いをイヤでも感じさせられる。・・・・・・わがまま、とはそう
いうことだ。どこまでも自己流を通すことだろうな。自分を見失
うことがない。

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