上林暁『白い屋形船』1964,講談社、地味だが心にしみる13の短編。さすがの上林暁

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 この本は1964年、昭和39年12月の講談社から刊行された短
編集であり、古書である。現在は講談社文芸文庫で「ブロンズ
の首・白い屋形船」という表題作で別の短編集が出ている。
収録作は『白い屋形船』以外はほぼ異なっている。

 で1964年に出た短編集「白い屋形船」、古書で現在でも容易
に入手できる。

 当時、上林暁の近作集であり、十三篇の短編が収録されてい
る。表題作にして巻頭にあるのが『白い屋形船』である。そこ
には上林暁が二度目の脳梗塞の発症から回復しかけた時期の作品
であり、あやうく死にかけた人間の幻覚と、そこからの奇蹟的な
回復を果たした喜びや、さまざまな想いなどが描かれた、端的に
云えば名品であろう。最後には「私は退院したと言っても、右手
、右足、口が不自由なのである」と結ばれている。

 他の短編「引越し」、「坪井立町の八百屋」、「母ハルエ」、
「父イタロウ」は思うに任せない体になっての口述筆記だ。妹さ
んの『兄の左手』と併せて読むと、事情がよく分かると思う。

 でもその刻み込まれたような言葉、実は全く無駄のない文章は
非常に高い文学的海抜だろう。

 特に、というのか、両親のことを描いた作品が非常に心にしみ
る。「母は苦労しているし、父は人生を最大限に楽しんで生きた。
それを書き分けたように思う」と書いているのだが、母のハルエは
息子の病気見舞いに上京し、東京見物に疲れてしまい、「年がいく
と、うち程いい所はないね」と。

 父は女道楽とタバコはやらなかったが、数しれない道楽を持ち、
勝手気ままに生きた父イタロウの84年の生涯を綴る淡々とした文
章。

 「なれの果て」というのは旧制高校時代の旧友で、一時は羽振り
がよかったが、徐々に落ちぶれていくその過程を描いたものだが、
その人を見る目の優しさ、温かさが読者の心にしみる。

 「引越し」は息子夫婦や甥や妹に体を抱えられて、28年ぶりに
隣のそれまでと同じような家に引っ越す顛末を描いたものだ。さり
へないが、やはり温かい。

 「野山」は郷里に滞在中に「雪の日の遺書」という歌集を遺して
死んだ歌人の老母を訪ねるという短編、

 「狂院幻想」精神病院で死んだ妻が産んだ子が建築家として立派
に成長し、精神病の建物の設計を行ったのを知って感極まる父親の
心情を描く。あの著名な「聖ヨハネ病院にて」の後日談というべき
か、・・・・・

 といって全て地味な作品ばかりである。逆に、そこに込められた
滋味は深い、さすがの上林暁と思わせる。

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