神戸大学学生会館の屋根の崩落、あまりに予算難の神戸大学だが、直接の要因は落ち葉除去の屋上の清掃を怠ったこと

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 神戸大学の母体、その前身は官立の神戸高商、神戸商業大学
である。それ自体は文句なしの名門ではあるが戦後、新制大学
となったときから神戸大学は予算難、貧窮というのか設備の劣
悪さは散々だった。関西には旧帝大としての総合大の京都大、
大阪帝大は医学部、理学部、工学部の理系のみの非総合大学だ
った。だから戦後、親制の大阪大で出発してまるで狂気のよう
に私学を併合したり、新規学部を創設したりで学部増設に狂奔
した。ついには大阪外大まで外国語学部で併合、薬学部は横溝
正史も出た私立の大阪薬科専門学校を戦後、併合したもの。全
く独自の学部増設も熱心で「基礎工学部」や「人間科学部」、
戦後、法学部、経済学部の新設の際、戦時中「神戸経済大」と
名称を変更した旧神戸商業大を併合の考えもあったが独自新設
となって併合はなかった。

 ともかく盤石の総合大学としての旧帝大、京都大と学部増設
に爆走した大阪大、に挟まれ、旧商業大ベースの新制神戸大は
戦後の貧しい日本とはいえ、予算は制約がある以前のレベルで
設備は貧困を極めた。

 昭和52年か、1977年に毎日新聞神戸支社が刊行の「神戸大学」
はその歴史を綴った内容が多いが、新制神戸大において新設の
文理学部、のちの文学部、理学部のセクションで冒頭にこうある。

 「新制神戸大学で戦後、期待を集めて設立された文理学部であ
ったが、その設備はお粗末の一語に尽きた!」阪神御影駅の北に
あった旧御影師範の校舎を流用だった。文理学部が教養課程をも
受け持っていた。

 チャート式化学、でかって一世を風靡された小林正光先生に
ついても述べられている。
 
 甲子園鳴尾浜にあった占領軍使い古しのカマボコ兵舎二棟
を載せたトレーラーが超スロースピードで、深夜の国道2号線
を進んでいた。はや初秋の気配が漂う昭和32年8月末(まだ夏
では?)神戸大学御影分校への兵舎の、おこしいれであった。

 焼け野原に生まれ、施設もないないずくしだった神戸大学。
「学生集会所、また実験室用にいただきたい」と、近畿財務局
に交渉した。半年以上も交渉してやっと実現した払い下げだっ
た。ジュラルミン製で、床面積が150平米、だが粗末なものだ。
それでも当時の貧しい神戸大学には垂涎の代物だった。使い始
めには式典まで執り行われて祝杯を挙げた。

 化学の助教授だった小林正光は「これで心置きなく実験が出
来ると、胸をなでおろしました」とその頃を懐かしむ。

 オンボロ校舎(戦前の御影師範の校舎)二階にあった小林の研
究室で、学生十数人が化学実験をやっていたら、床に薬品がこ
ぼれ、階下の皆川理教授の研究室にポトポト落ちた。「私の研
究が台無しになるじゃないか」と皆川に小林は呼びつけられ、
こっぴどく叱られた。実験に使った硫化水素ガスが上の三階の
科学研究室に吹き上がって、「殺す気か!」と怒鳴り込まれも
した。

 こんな不自由を際めた生活だから小林にはカマボコ兵舎でも
限りなくありがたかった。

 開学三年目、赤塚山の南、阪神電鉄御影駅北側にあった旧
御影師範学校の瓦礫の中に、鉄筋四階建ての教養課程御影分
校が建設された。殺風景な建物だったが、教官、学生がやっ
と見つけた安住の地だった。

 文理学さえも、その教養部御影分校で一緒に講義を行った
。共同生活で研究室も共用だった。学生掲示板一つ建設も、
その費用捻出に四苦八苦した。

 「乏しきを分かち合うというのでしょうか、でも今よりも
教官も学生も親密でした」

 と小林はしみじみと述懐した。

               (以上)

 戦後の貧しさのなかでさしたる前身ももたず創設された神戸
大学、貧しい大学だった。岡山大学なら岡山医科大学、岡山
師範学校、。第六高等学校などの設備を受け継いでいた。あま
リに、何もなかった神戸大学。

 小林先生が今生きておられたら、105歳?かなぁ。私でさえ、
いつの間にやらこんな年齢なんだから。

 小林先生のアルバムから、学生の服装も当時の雰囲気、白衣
が小林先生

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 というわけで近年は医学部卒の山中先生のノーベル賞受賞な
どで神戸大学もイメージを一新だが、依然、予算難、貧窮な大
学から脱していない。

 21世紀初期に年予算247億円も2024年だったか207億円ほどに
低下している。戦後、予算で岡山大を超えたことがないのだ。

 さて、先日の神戸大学生会館の屋根の崩落だが、基本的な要因
で予算難がある。年間、たった200億円と少し、ではどうしようも
ない。医学部、理学部、工学部、農学部、大学院、さらに神戸商
船大も併合してこれである。

 学生会館は六甲台(凌霜系三学部)を下る急峻な山腹にあり、
六甲山に上る道路を挟み、向かいは鶴甲の旧教養部学舎がある。
すでに築60年というから昭和40年代初期の建設であるから、か
なり老朽化である。

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 何よりも山腹で秋から枯葉が大量に屋根に落ち、溜まる。これ
は水分を含むことも多く、その屋上の枯葉除去の清掃がさっぱり
なされていなかったようだ。老朽化でも、ここまでの屋根の崩落
は稀有である。枯葉放置の代償と云ってよく、雨漏り、漏水は最
近、顕著だったようだ。落ち葉放置の結果と考える。十分なメイ
テナンスがなされず、あまりに無神経と云わざるを得ない。

 学生会館は各サークル、部活の活動拠点、また喫茶食堂も入って
いる、一階は書籍である。現在はどうか。

 だが現在、建築資材、補修資材が欠乏しがちで価格上昇も著し
い。何としても修繕しないと、だが相当な金額になりそうだ。大
学当局もこれは難題である。OBから寄付金を相当集めないと修復
など夢の彼方である。
 

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