昭和9年夏の家本為一先生(弁護士、のち岡山弁護士会会長)映画俳優以上の美貌でスポーツマン。「アサヒグラフ」1934年7月号、「地方奇人伝・岡山県・家本為一」


 さて、その昔、NHKの名番組「ある人生」の第7回に取り上
げられた弁護士の家本為一先生、その再放送は録画していたが
VHSどまりでDVDダビングしていなかった。ダビング機器のV
HSが壊れていて、今は再生できない。新品のダビング機器は
あるのだが。・・・さて、その番組、それ以前、昭和39年、
1964年には文藝春秋のグラビアに取り上げられた。さらにその
前、昭和9年、1934年のアサヒグラフ7月号に取り上げられてい
る。この時点で49歳、だとすれば1885年ほどのお生まれ?ただ
この49歳が戦前流で数え年だと思われるから1886年のお生まれ
?。亡くなられたのは昭和47年、1972年1月、10日ほど寝込ま
れて亡くなられた。86歳だったという。

 でも昭和9年からすでに家本先生、全国区での有名人であられ
たわけだ。「アサヒグラフ」で実質1頁全体スペースで紹介され
ている。

 ★地方奇人伝  岡山県  家本為一

 OB、老童、すべて再検討されるべき時が来た。ことに、この
言葉OB,オールドボーイがはやる日本スポーツ界ではね。だっ
てそうじゃないか。スクールボーイでさえなけりゃ、それでいい
さとはいうものの、四十坂を越した溌剌士、だったらまあ恐るべ
しとしても、大学や高専あたりをこの春卒業したとか、と思って
いるともうオールド組だから、全く響きはよくないものの、と言
ったからといって、そう皆を決し給うな。話があるんですよ。事
実が。

 およそ岡山近傍の人なら、髭の家本先生ー、といえば大抵知っ
ておられるだろう。大変なスポーツマンで、弁護士さんで、至極
札付きのボヘミアンで、もう50歳になろうという今日、完全な独
身主義というのも有名なのだ。無欠のOBということだ。

 岡山県川上郡日里村(現在の美星町黒忠)の生まれ、当年49歳、
家本為一氏、世間の人に言わせると、翁と云わねば気が済まない。
どっちが頭なのか、夜目遠目ではわかりかねるほどの蓬髪と蓬髭と
であるがゆえに。翁の独身主義は子供時代からではなく、青年時代
に目覚め、根を張ったそうだ。

 翁も生まれて以来、父や母とともにあって、兄、妹もいた。なべ
て人と同じように、娶ってよさそうな頃になっても、いつの間にか
独身界を歩き出した。それがとかく評判になって、先生、妻君をも
らってはと、いろいろ話もあったようで、翁も若かりし頃は青雲の
志、翼を伸ばして美妻を、との欲もあったが、ついつい煩わしくも
なって。妻君御免の正札をおろしてしまった。だが世間もなかかな
しつこく、翁の翻意を誘おうと、情けのトリックを用いることもあ
った。挙句に、当時、岡山某剣番に名うての名妓との間の縁談のデ
マを広げさせたとか、翁は、何か惜しい気もするが、でさらりと、
かわしてしまった。なら女嫌い、とか早合点の向きもあろうが、決
して女性排撃主義者ではない。

 翁の偶作に

 よき人と隣に座りて新聞を
  
     読めども読めぬ汽車のゆすれに

 その解釈は読者に任せるが、いかにも翁らしい面が出ている。

 翁の日常生活?岡山市内山下お城の国宝穴門のすぐ下手に寓居を
構えて、若い書生君、二人と合わせて三人で生活している。炊事は
書生任せかといえばそうではない。書生は書生、翁は翁で料理勝手
たるべし、となっている。もちろん粗食で知られるだけに、書生の
手を借りない。朝はパン、昼は裁判所の並弁当、夕は近所に住んで
いる妹さん宅で。
 
 つい先ごろまで詩人の尾笹鼎楼翁とまる7年同居、尾笹翁は病で郷
里の備中に戻っているという。

     ( 以上でざっと三分の一、豊かな内容でまた書き足したい。
 転載である)

 
  書斎の家本為一翁、まだ49歳だが

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 日本アルプス登山(北、南、中央は不詳)の折の画像

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 伯耆大山スキー場で

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