著名すぎる作品『老人と海』をどう読むのか?徒労の叙事詩で究極の栄誉、ノーベル賞のアンバランス

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 アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』は、あまりにも
著名すぎる作品である。だから、虚心坦懐になって読む、つま
り超名作だから、どうしても感心しなければならない、という
意識に阻害され、『老人と海』に素直な気持ちで接するのは難
しい、ちょっと構成も普通の小説とかけ離れている。プロロー
グとエピローグにのみ、ほんのわずか、一人の少年が出るがあ
とは、終始一貫、主人公である老漁師のサンチャゴが唯一の登
場人物である。だから、とんでもなく単純で読みやすいかと云
えば違う。いきなり、退屈さに襲われてしまうのだ。

 登場人物ではないが登場物として、対立者としての巨大魚で
ある。その舞台はヘミングウェイのいたく愛したメキシコ湾の
海上だ。

 やはり、その昔は熟達した漁師として活躍したサンチャゴも
、今や寄る年波ですっかり老いさらばえた。また生活も孤独で
ある。運命にも見放されたかのようだ。もう84日間、ただの一
匹も収穫がない。周囲の仲間の眼も冷淡になってくる。だが、
そこで逆にサンチャゴは意固地になって、かってのプライドに
生きている。84日間全く釣れず、ついに85日目、この作品では、
この85日目の出漁でかかった巨大魚、それに三日、二晩、翻弄
される。引き回される。だがついに仕留める、がその巨大魚は
ちっぽけな船には載せられない。舷側に縛り付け、港への帰り
、その巨大魚の死体を狙ってサメの群れが襲ってくる。ここか
らサメの群れとの死闘だ。銛も奪われる。ナイフもだ。最後は
素手同様の舵棒で戦い抜き、どうにか凱旋の帰港を果たしたと
思いきや、獲物の巨大魚は頭と尾、後は骨だけになっていた、
というので、空しい徒労を描いているわけだろう。その、事実
的には面白くもない話を、いたって叙事詩的に海上での闘争と
いう形で描いている。

 でもどう解釈するかだ。小説と見做せば、他愛のなさすぎる
話で、稀代の名作といわれても、多少反発も生まれる。だが、
それはそれでいい、一篇の徒労の英雄叙事詩とみてもいい。
獲物の巨大魚に「お前は俺の運命だ」とサンチャゴが呼びかけ
る、そこに一種の生きることの象徴的意味を読み取ることも確
かに出来る。古典的な香りもかぐことはできる。

 だが、この作品をメインに作者のヘミングウェイがノーベル
文学賞受賞、子の世俗的栄誉がこの作品を大いに汚したといえ
るだろう。文学は栄誉であってはならないと思う。文学賞を多
くの作家が欲しがるが、邪道以上の外道の道だ。

 別に写実的小説ではない。が、体験からくるのだろう、海上
の自然現象描写は単純を極めても鮮明である。

 初訳は批判も多かった福田恒存訳である。批判を浴びた箇所
は数知れない。意訳だ、と云われても、原文のドライさが日本
語に移されることで妙にウェットになっているのは否めない。


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