岡本太郎『日本再発見』角川ソフィア文庫、太郎さんらしい、思うままの天真爛漫の面目躍如だが
元来は古書だが、その後、角川ソフィア文庫として再刊、
現在はkindleで読める。この本の前に岡本太郎は『日本の伝統』
という本を出している。ということで今度は現在の日本という
発想だったということらしい。
「最も散文的であり、非芸術的と決めつけられ、蔑められ、
ほんとんどまともに顧みられない、現代日本のありのままの
姿から芸術の問題を掘り起こすこと。我々の誇りと生き甲斐を
具体的に突きつけ、この辱めをひっくりかえすために」と、あ
とがきで執筆動機を述べている。
で、そこで吹雪の秋田に出かける。東京あたりで見かけるよ
うな、秋田風とされる民芸的なものについては、「にぶく、暗
くて、重くて、貧相で。質朴を売り物にする、いやらしさは鼻
もちならない」と考えていた太郎さんは、本場の秋田の風俗に
接して、すっきりと、ほほえましく純粋なものに感歎するので
ある。わけても年越しでなされる「なまはげ」の行事に「人間
本来の生命力」を見出している。
長崎で、この港を通じての貿易の利益や珍しい物産だけは歓
迎するが、キリシタンはいや、つまり物は頂いてでも、その精
神は拒否だという、秀吉以来の便宜主義的な文化への態度が、
いかに正しい文化交流を歪めたか、について力説する。
京都では、友禅染めや慶長小袖が、いかに抽象的に洗練され
たものであるか、抽象芸術こそ日本の誇るべき伝統にほかなら
ぬことを論じるかと思えば、知識人たちのお茶の会に出て、そ
の独善的な優越感に激しい皮肉を浴びせる。太郎さんらしい。
太郎さんが讃嘆しているのは出雲大社の「野蛮な凄み、迫力」
であり、中尊寺のもつ「逞しく、分厚な凄み」のなかにある「
ため息が出るほど鮮やかさと繊細さ」であり、花巻の鹿踊りの
「残酷で、燃えるような、宇宙的な情熱」である。ついには大阪
商人のド根性に太郎さんが日ごろから考えている「生活の中の芸
術」の可能性を想起する、のだ。
太郎さん自身の撮影による各地の風景、風俗、文化遺産、民俗
行事などの写真をふんだんに載り、前述の御託宣まがいの歯切れ
のいい気炎をちりばめた、いたって駆け足の見聞記というべきか。
これを日本再発見、というえるのかどうか、である。もっとも岩
手では、東北文化の代表とも扱われる石川啄木や宮沢賢治につい
て、岡本かの子の息子らしくというのか、こういう低水準な「ひ
弱なもの」が、いつから伝統になったのか、と歎くのだ。その地
の名産の馬、「生命力の炎のかたまりのような動物」に対し、ち
ょっと面目ないだろうというような太郎さんの言い回しは面白く
もある。
そいうわけで「土地のポテンシャルなエネルギーに火をつけ、
実践的に協力」することで、将来の逞しい民族芸術を掘り起こす
、という当初の壮大な思いには、ちょっと程遠いかもしれず、な
にはともあれ、太郎さんらしい天真爛漫は面目躍如、それは確か
に魅力だ。
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