阿部知二『青い森』1956,終戦後、昭和20年代後半の日本の縮図を描く

images (26).jpg
 この作品は1956年、昭和31年の発表されたものだ。阿部知二
の代表作ともされる力作だが、現在では古書でしか入手できな
が、それも極度に少なくなっている。

 この本の「あとがき」によると、作者はこの中で現代日本の
ある時期の一断面を描こうとしたらしい。つまり、これまでの
小説のように、特定の個人または何人かの運命や性格を描くこ
とではなく、現代史の一節を全体としてとらえ、占領下の日本
のさまざまな光景を展望しようというのが執筆動機のようだ。

 したがって、この作品に登場のさまざまな人物は、それぞれの
属する階級や世代を代表する役割を持っており、誰が主役で誰が
重要でない端役でしかない、とも言い難い。ただし物語の展開の
必要上、いろんな人物や事件を一人の人物の周囲で整理が便利で
ある。ここに山原鹿一という中年の男が登場する。

 山原は1953年の早春に中国からの引揚者として舞鶴に上陸する。
それからまっすぐ大阪に行って駅の前の、ある大会社の受付に現
れた。だが常務の深志野英二は会議中を理由に、秘書に銘じて山
原に金包みを渡させた。彼はそれを拒否も出来ず、受け取って自分
の卑劣さを恥じた。彼はまた、この会社の神門老人が数日前に亡く
なったと聞かされた。

 山原はこの神門清造の若い時の隠し子であった。清造はむかし大
学を出たばかりの若い鉱山技師として東北にいたころ、土地の大地
主で学生時代の旧友の安仁正郷の家の女中に手を付けて鹿一を生ま
せた。だが彼は関西の著名な財閥の娘と結婚し、実業界に進出、だ
が鹿一は日陰者として東北の田舎で育った。

                
しかしかれが中学を卒業した時、清造は彼を京都に引き取り、親友
の大学教授の深志野安の家に預け、工業大学に通わせた。鹿一は清
造の実子であることは、神門、深志野両家の子女たちもうすうす感
づいていたが、清造は彼に父とは呼ばせず、事故で死んだ部下の残
した子どもを引き取って養っているように取り繕っていたので鹿一
は皆の間では一段低い者として冷遇された。

彼はたえず劣等感に苦しみ、反抗的になり、深志野家を追われてある
工場に入った。間もなく、入営し、つづいて大陸における長い兵隊生
活が始まった。やがて彼は上官を殴って脱走し、中国人の間にまじっ
て終戦を迎えた。彼は中国人の娘と結婚し、子供も生まれて平和で幸
福な生活を送っていたが、引揚げが始まると、妻子と泣きながら別れ
て帰国することになった。妻子と別れたくないのはやまやまだったが、
やはり帰国したいという帰巣本能も事実だった。・・・・・彼が大阪
の神門の会社の受付に現れるまでの経歴はざっと以上のような、もの
であった。

 彼はその後、東京に出たが、仕事もなく日雇い労働者になった。そ
こで彼は社会の最下層に落ちぶれている、さまざまな人間たちを見た。
そこには共産党を盲目的に恐れるボス的な男や、奴隷のような境遇に
置かれながら、精神の自由を高唱するアルバイト学生がいた。

 ある日仲間の一人に誘われて、担ぎ屋の群れにまじり、食料の買い
出しに行った。帰りに警官に襲われて列車から飛び降りたが、そのと
き知り合った湯井初江という未亡人が彼が中国から帰国したばかりと
聞いて、自分たちのやっている平和のための話し合いに出て中国での
体験を話してくれ、と頼んできた。




この記事へのコメント