「皇室典範改正」は現代の「紫衣事件」、政治権力が皇室を完全統制と道具化の宣言
元来、皇室、天皇こそが政治権力でもあったが武家政治の成
立から現実の政治権力を失い、独自の存在となって征夷大将軍
の任命などの権威と精神的な権威となって存続した。天皇と政
治権力との関係、相克は長い歴史がある。平安初期の天皇の政
治権力保持から藤原氏の摂関政治、上皇の院政から平安末期か
ら平氏の台頭、平治の乱や保元の乱を通じて平清盛が太政大臣
に就き、武士の政治権力奪取となった。以後の天皇は南北朝時
代も経て政治権力からは退いて武家政治が権力保持が永続化し
た、・・・・が、政治権力を失った天皇、朝廷が政治権力とど
う対峙、したかは日本歴史上の重要な基本的テーマである。
江戸時代、幕府が始まってほど経たない時期、1627年、寛永
四年の「紫衣事件」は政治権力が天皇、朝廷に絶対的優位にに
立ち、天皇、朝廷を管理するという事態となった。高僧への紫
衣の授与の権利は天皇、朝廷にあり、また朝廷の自主的な収入
源ともなっていたが江戸幕府は既に「禁中並公家諸法度」で天
皇が紫衣を与えることは幕府の事前了承を必要と規定していた。
後水尾天皇は朝廷の侵されざる権利と見做し、幕府の事前了承
を得ず紫衣を授与し、幕府と衝突してしまった。仏教側も幕府
に激しく抗議したが、逆に幕府は沢庵などの高僧を流罪に処し
た。後水尾天皇は激怒し、幕府に告げず突然、退位した。後継
は明正天皇、859年ぶりの女性天皇であった。
紫衣事件で江戸幕府という政治権力が天皇、朝廷をその管理下
におき、優越することが決定的となった。それは明維新、「王政
復古」でも天皇の神格化、軍隊の大元帥に、とあたかも王政復古
!しかたかのような神政となったように表向き見えるが、実態は
天皇を政治権力による道具化、というべきであった。
戦後は日本国憲法のもと、天皇象徴制、天皇の国政関与は政治
権力の指示に従う形式として規定された。
これまでの経緯を考えれば天皇陛下、皇室はどこまでも政治権力
の管理下、また独自収入源などとも無縁で予算も政治権力の決定に
よるわけである。
だが今回の皇室典範改正!の本質的な問題は、天皇、皇室の本質
というほかない、天皇たるゆえんの「神性」が政治家によって冒涜
され、実質的に皇統が断絶、俗人に乗っ取られるということである。
現実、天皇陛下、皇室が政治権力の決定に抗する力を持たない。高
市政権の暴走、「立法府の意思」を絶対的とする法案成立に、穏や
かに懸念の御言葉を発されたが、麻生、高市政権は全くお構いなし
である。皇統より、反女性天皇教であるかのような、愛子様も住民
登録の二等皇族への格下げ、不敬極まりない竹田恒泰の意向が噴出
の惨憺たる内容だ。
もはや法案成立は確実な情勢である。憲法の「皇位継承は世襲」も
「天皇象徴制」も風前の灯火である。
この記事へのコメント
次の内閣で廃棄してほしい。