ジョージ・スタイナー『青鬚の城にて』副題:「文化の定義の覚書」、文化の高度化も政治の野蛮化を防げないことへの批判

images (8).jpg
 著者のジョージ・スタイナー、1929~2020、オーストリア
系ユダヤ人としてパリに生まれる。戦時下、ユダヤ人迫害によ
り一家でアメリカ亡命、1948年、シカゴ大学卒業、ハーバード
大で修士取得、1955年にオックスフォード大学で博士号取得、
文芸評論家、哲学者、作家、・・・・・

 原題はIn Bluebeard's Castle, 青いヒゲの城の中でというタイ
トルだが、思わせぶりだ。

副題が「文化の再定義への覚書」それはT.S.Eliotが1950年ころか、
「文化の定義についての覚書」を発表したことへの意識である。
つまり、あの名声高き、ノーベル文学賞受賞の詩人が(余談だが
コリンウィルソンが「アウサイダー」でエリオットを取り上げて
いるのは滑稽だ。典型的なインサイダーである)第二次大戦での
ホロコーストという惨劇について避けてふれることもなく、ただ
キリスト教的秩序を何やらくどくど御託を並べて文化を論じてい
ることへの痛烈なる批判なのである。

 スタイナーは言う、東欧でユダヤ人問題の「最終解決」を行っ
た連中の中にはバッハ、モーツァルト、ゲーテなどの高度!な
文化の鑑賞家、愛好家が多く、実際に演奏家という者もかなりい
たという。あの虐殺絶滅収容所の近くに哲学者のハイデッガーは
悠々と晩年を過ごし、高度なる哲学に向かっていた。と、すれば
だ、いかに文化、文明が高度化、高尚になろうと現実の政治の野
蛮化、ファッショ化、独裁化の前には何の意味もない、というこ
とになる。あるいは文化など仮装であり、その中には残忍さ、野
蛮風さを内蔵しているということなのか。

 「第一次大戦の勃発から第二次大戦の終わりまでに、ヨーロッ
パとロシアで約7千人の人間が戦争、飢餓、意図的な虐殺で死んだ
こと、その恐怖の様相が根底で、何ら考慮されない文化の理論な
ど私には無責任極まると思えてならない」

 スタイナーがこのような問題提起を行う動機は、まさに彼自身
がオーストリー系のユダヤ人で、父親の奇蹟的な先読みでドイツ
軍によるパリ占領の半年前に一家でアメリカに脱出、かろうじて
生き残ることができた、という切実な体験がベースにある。

 だが重大なことは、実体験での痛切な思い、それゆえ語り口が
激しやすいにもかかわらず、その論理は説得力あるものであり、
情趣にひたり、感情に溺れるなどと云う傾向はごく希薄だ。実に
明確な思弁に裏づけられている。

 例えば、スタイナーによれば近代西欧文明を批判すればそれで
一応いいわけだが、第三世界へのヨーロッパの態度を論じる際に
、「自分たちがかって奴隷とした者に対しては、その後、悔悟の
心情をこれほどとった民族がいただろうか、輝かしい文明を道徳
的に告発しえた民族がいただろうか」と絶賛している。

 まあ、立派な文明批評の本とは思うが、テーマが実際、深刻な
だけに、何も結論が明示できているわけでもない。読者も何より
も批判的に受け止める姿勢が必要と感じる。

 

この記事へのコメント