増谷文雄『親鸞・道元・日蓮』至文堂1956,タイトルにはない法然の記述が半分以上を占める。

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 あの宗教学者、増谷文雄先生は主に仏教関係の著書が多い。
非常によく知られた学者であるが、この本は1956年、昭和31
年に至文堂から刊行されたもの、鎌倉仏教の代表的存在、親鸞、
道元、日蓮について概説した本である。現在は全くの古書であ
る。

 藤原一族による貴族政治が倒れ、平清盛による武家政権の成
立は日本歴史上の最大の転換点ともいえる。最初の武家政権た
る平氏の政権はほどなく源氏によって打倒され、とって変わら
れた。その源氏が北条氏の執権政治に移行してしまった。

 確かにこの時代、日本の文化でも何かが新たに噴出の活火山
状態、であったかのように見受けられる。平安は過ぎ去ったの
である。日本の精神文化の最大の要素、基盤であった仏教にも
激変は生じ、今にその名を遺す鎌倉仏教の創始者が生まれた。
それで法然、親鸞、道元、日蓮は特に著名だが、なぜかタイト
ルに法然がカットされている。だが実はページの半分が法然に
割かれている。法然が最も早く表れたからでもある。その教え
は弟子ともいえる親鸞、実は道元、日蓮にも影響を与えている
とある。一般に親鸞、道元、日蓮に比べ、鎌倉仏教の偉人でも
法然は一般にどうもアピール度が低い、ぶっちゃけていうなら
人気がない。その法然をメインに描いたことは意味深な価値が
ある。

 仏教伝来後、著者はこの時代こそ、仏教が日本に宗教として
真に消化され、日本独自の宗教となったとみる。その著しいと
いうか、典型例を法然に見ている。

 「法然の行き方は、大胆な単純化によって、仏教の教えを日
本の民衆のものとすることであった。そして親鸞の行き方は、
それを宗教的体験の深みにおいて捕らえることであった」と述
べている。

 「人間が、自分自身を煩悩具足の凡夫であることを知る。か
かる凡夫にふさわしい教えとはなんであろうかという探求が始
まる。念仏の道が選びとられたのは、そこからである。それが
法然の考え方であり、親鸞の実践した道であった」

 そこで道元が選んだ道は、これらとは全く対照的なものであ
った。彼は「正伝の仏法」であるという。それを探求した。そ
れが曹洞宗である。

 禅は体験を主とする教えであった。体験による結論は、論理
的に飛躍するのが常である。あるいは観念的には説明できない
ものといっていいだろうか。道元の代表的著作『正法眼蔵』は
そのような言葉で綴られたものだ。だからこの本を哲学的思惟
の内容というのは「全くの見当はずれ」だという。

 で、現代も何かと問題視される日蓮については、実は多感な
庶民的な人物であった、という。彼が時の政権に激しい反抗を
試みたのも、その結果だという。かくまで著者の解釈だが。そ
こで日蓮が、念仏を最も強く批判したのも。根柢において、日
蓮もまた念仏と同じ方法で庶民に宗門をひろめたからだという。
ひたすら念仏も、座禅も、日蓮の一途に南無妙法蓮華経と唱え
る、という単純化という点で同じである。

 「念仏と唱題と座禅は単純化された仏教という点で同じもの
である。徹底した単純化は日本人の民族性に合致し、日本のま
さしく支配的宗門となったのである」

 つまり明らかだが、この本は鎌倉仏教、13世紀の日本の仏教
思想を思想史を書いたものだ。手際いい解説だが、その背景と
なる社会の歴史、変動が何も語られていない。


 

この記事へのコメント

killy
2026年07月24日 11:58
至文堂の書籍は、文化庁や各国立博物館の学芸員が執筆され勉強させていただきました。
残念なのは、西日本豪雨で30冊ほど失いましたが、残りは今も本棚にあります。