江戸幕府が大井川に架橋しなかった理由は本当に江戸の防衛のためだったのか?実は架橋が技術的に無理だったから
何かと話題の大井川だが、江戸時代、大井川に架橋がなされ
なかった。これを江戸の防衛のためだと繰り返し、説かれてい
る。でもおかしな話だ。江戸幕府にしても交通の便は重要で、
いまさら大井川に橋をかけず江戸の防衛も滑稽の極みだ。
家康が岡崎城にいた頃、矢矧川の橋の流出に際し、家臣が川
の要害論を説いたのに対し、それを押し切って架橋させている。
江戸でも、東北諸大名を控えた荒川に千住大橋を架けているし、
家光も日光参りで必ず常側に舟橋を架けさせていた。江戸に最も
近い多摩川に流出しても再架橋していたのである。六郷大橋だ。
大井川に架橋しなかった理由、単純である。当時の架橋技術で
は無理だったからにすぎない。そりゃ、両側の宿場が架橋に反対
していたことはある。その際に、宿場側が江戸防衛の故事を持ち
出していた、これが結果的に歴史の定説になってしまったのだ。
東海道という交通の中心で大井川に架橋がなかったことは経済
的にも重大なマイナスで有り続けた。宿場側の意向で渡し船もお
けず、思わぬところで交通の計画の失敗を長く感受せねばならな
かった。宿場制度は実は江戸幕府にとって深刻な問題を孕んでい
て、伝馬制度の破綻、助郷への反対運動の盛り上がりは幕府倒壊
の要因とさえなった。交通計画に江戸幕府に一貫性はなく、問題
解決の力も欠いていた。大井川の架橋など手に余る話だったので
ある。
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