フェルスマン『石の思い出』草思社、鉱物採集の生涯を綴る


 著者のアレクサンドル・フェルスマンは1883年にペテルス
ブルクに生まれた。少年時代から石に興味を抱き、著名な地
球化学者ヴェルナトスキーに師事、鉱物学や地球化学を専攻。
コラ半島地下資源開発開発の功績でスターリン賞を受賞、ソ
連科学アカデミー会員となり、1945年に死去。
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 フェルスマンは6歳の頃、アテネの海岸で小石を投げて遊ん
でいるときに父親が「ここにある石が全部、大理石って知って
いるかな。アテネのアクロポリスもこれで造ったんだ」と云っ
た。少年フェルトマンは投げるのをやめ、小石を小箱に入れて
持ち帰った。

 その後、半世紀にわたって、生命のない石に限りない愛情を
注ぎ、石の言葉を学び、その発生、生存、破滅の秘密を知った
のである。「金属や鉱物は自分の足で歩いて見つけないと向こ
うからは歩いてこない。自分の鉱脈へ目と手を求めているのだ
!」というフェルスマンは、地下資源開発と鉱物探査に生涯を
ささげた。地球の果てまで旅を続け、最後の思い出としてこの
本を書いたのである。

 「思い出のひらめき」から始まって、最後の「地底に向かっ
て」までの20編の思い出が、「時間も空間も忘れて無秩序にひ
しめきあい、あるいは長い完成した映画フィルムのように纏ま
り、あるいはとりとめのないフィルムの切れ端のようにちぎれ
て」と綴られている。

 「白と黒」と題して、黒海の港に並ぶ二列の円錐形の小山を
追うのであるが、一つは黒褐色のマンガン鉱で、遠く西欧の工
場に運ばれ、戦争のための機械や道具に生まれ変わる。だが、
白い山は肥料になるリン鉱石で農作物に成長力などを与えるた
めに運ばれてきたものである。この港で「戦争と平和、生と死
の永劫不滅の交代」が行われている。

 赤い鉱物、ユージアル鉱を求めてラップランドを訪れ、一夕、
その赤い石こそ、この民族が自由と生命のために流した血の滴
たりだという話を聞かされた。絶壁に方解石の脈をみつけた若
い助手は、著者の警告を無視し、興奮して登っていく。しかし、
石が崩れる音とともに、彼女の姿は消え、三日後にその遺体が
入り江に洗われていた。それからはフェルスマンは探査に誰も
連れて行かなくなった。

 鉱物採集を、キノコ採りと較べ、惚れこんでしまえばキノコ
が勝手に籠に入るように、石の発見も研磨機や他の道具など使
わずとも、石は自らの過去を語ってくれる。小さな些細なもの
から始め、小さな部分に宇宙創造の謎を発見することである。
このような心構えは、心身を石と山に捧げ、打ち込んだ文盲
の山男が教えてくれるという。

 「石に携わる人々」には、石に魅せられた人々と彼らの特質
を回想し、将来、この分野に入って行こうかという人達の心構
えを述べたものだ。氷洲石を求め、コーカサスに旅し、採集が
終わって帰途に就く前夜、新進鉱物学者のヴィクトル・ヴァラ
ビョフは散歩に出ると言って出かけて帰ってこなかった。氷河
のクレバスに遺体を発見したのは数日後だった。

 「雪崩だ、危ない」と叫んで仲間を助けたが自分は雪に埋も
れた人もいる。目的達成のためには根気よく、具体的に仕事を
進める人たちであり、誠実、正義感、純粋さは石に熱狂する人
の特質だという。その反面、石に呪われ、宝石に身を滅ぼした
人も多い。

 科学者が自然に寄せた愛情ある回想、追憶であり、自分の体
験を一人称で語るが、時には三人称でも語っている。思い出は
いつしか美しいロマンとなり、また詩にもなる。石だけではな
く、科学に志すものの態度、心構えを説き、鉱石の神秘を語る。

 内容的には高校生、大学生向きだろうか。類書は少ない。貴
重だ。戦後、昭和31年、理論社から堀英道訳で刊行された。そ
のままで草思社から復活刊行されているのだ。


 鉱物探査中のフェルスマン

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