向坂逸郎『若き僚友の死』1960,純正マルクス主義者の穏やかな随想集、今なお日本を支配の社会主義税制のルーツ
最近の、というか中年過ぎの人でも向坂逸郎って知らない
のだろうか。純正マルクス主義者、九州大学教授を長く、特に
三井三炭鉱の総資本vs総労働の激烈な労働争議を指導、現地で
の勉強会、マルクス主義の実践として。過去の話と思ってはな
らない。日本は資本主義を看板とした社会主義国、というより
亜共産主義国なのである。資本主義と共産主義のハイブリッド
国家といっていい。それが端的に表れているのは税制だ。そ
れを「ザイム真理教」というが、ザイム真理教は旧帝大のマ
ルクス主義研究の結果である。日本の官僚は東大などの旧帝
大出である。マルクス経済学研究者の数は日本は長く世界一で
あり続けた。それは全国の「経済学部」に存在している。表向
きの講座名は数理経済学など、決してマルクス主義を表に出さ
ない。
中国は共産主義、一党独裁、だから駄目だと日本人は言うが、
相続税はない。土地は持てないと言って外国の土地は持てる。
資産は世代の交代とともに複利で増えていく。豊かな所以だ。
逆に日本は世界一厳しい相続税で古来、戦後だが「三代でゼロ
になる」国だ。高市でも「税制が社会主義的すぎるから相続税
軽減」は全くおくびにも出さない、ことを見ても分かる。日本
は資本主義と共産主義のハイブリッドである。マルクス主義は
生きている、生き過ぎているのだ。
「共産主義国」日本で生きるのは日本を代表するマルクス主
義者を知ることが重要だ。
さて、この本のあとがきで、向坂はこの随想集に収録の各随想
はいたって和やかな気持ちで書かれたものが多い、と述べている。
1959年から1960年までの三井三池炭鉱争議はまだ始まっていない
時期の文章だからか。
でも特に和やかな随想、エッセイ(以後エッセイと)は『学生
に寄す』だろうか。この中で向坂はさまざまな回想、、懐古や書
評や向坂自身の生き方、生活の在り方も盛り込まれ、よくその人
柄を表している。「私はきわめて平凡に普通の人がやるようにや
ってきたと思っている」という類の文章が数多くみられる。その
平凡さは実はどうも向坂の本質に密接しているようで、生活の上
でも思想の上でも、合理性、合目的性という経糸で貫かれている。
戦時中、野菜作りで農業を研究、たくみに畝も作って疎開先で
野菜作りのうまさで驚かせた。これは本にはないが。
若いころから今日まで自分を秀才と思ったことはなく、とはい
うが、これも秀才の定義にもよるだろうが、さしたる努力もなく
合目的性を貫徹し、生活し、勉強し、社会運動に参加し、指導す
るなどは単に凡庸な人間ではできないと思う。
『新仲人論』は向坂の結婚のいきさつを述べている。ドイツ留
学の前に、外国でお嫁さんを見つけて帰られたら困るという親の
心配に「いい人がいたら決めてもいい」と思って婚約して留学に
向かった。別段、面白い話でもないが。
この本は、いたって和やかな話と歴史を見抜く鋭い目が併存し
ている。「おもしろい話」も、面白くもない話を面白いと感じる
には何が必要かと教える。つまり、まったくクソ真面目一徹の人
間なのだ。
本のタイトルにもなったエッセイ『若き僚友の死』は社会主義
運動に生涯をささげた無名の人物の話である。当時、国際情勢で
話題の東西対立の緩和「雪どけ」にも批判的である。向坂は一貫
して階級闘争を社会運動の最重要なコンセプトとしてきたため、
「雪どけ」での武装闘争放棄を危険とする。
『自由について』、『若き共産主義者へ』は実際の社会主義実践
運動への向坂の批判的見解だ。まずはマルクス主義絶対である。
社会党の社会主義協会の指導、で社会党右派の「国民政党」論を批
判する。
弾圧にあっても自然体で忍び、ひたすらマルクス思想研究の生涯
である。また三井三池争議にも指導者として参加、理論と実践がそ
ろっている。単に変わり者ではない、向坂逸郎はザイム官僚に生き
ている。重要なのである。
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