『それからの武蔵』(小山勝清)と『二人の武蔵』(五味康佑)「戦後派武蔵」の文学
ともによく知られた作品である。ただ、『それからの武蔵』
と『二人の武蔵』をともに「戦後派武蔵」の文学作品として捉
え、「戦前派武蔵」の吉川英治の『宮本武蔵』との比較という
観点で考えてみる。
武蔵 自画像
云うまでもなく宮本武蔵と云えば戦前、朝日新聞に連載され
た吉川英治の『宮本武蔵』が圧倒的な影響力を持つ。宮本武蔵
自身の著もあるわけだが、不明な部分は多く、その小説化は作
家の想像力がフルに活用されるわけである。吉川英治の宮本武
蔵が人格の完成を目指す生涯という視点で描かれていると思え
るが、これがとりあえず、というより相当堅固にイメージとし
ている。映画化も影響が非常に強い。悩みながらの修行者であ
る。「われ神仏をたのまず」で一剣天で立って、艱難辛苦の末
の円熟の境地、人格形成小説の典型である。
で、戦後の武蔵だ。代表は二作品だ。
小山勝清の『それからの武蔵』テレビドラマにもなっていた。
巌流島の決闘以後の武蔵である。巌流島で佐々木小次郎を倒した
が、なお自分自身の未熟、いたらなさを痛感した。神仏、ことに
仏の前には、やはりかなわない、ということか。そう考えたであ
ろう。慕い寄ってくる女性をしりぞけ、再び苦難の遍歴に旅立つ。
その三十年後、ようやく真如の境地に達して大往生を遂げる、と
いうところでこの長編は終わる。
でも、この『それからの武蔵』、とにかく武蔵が絶対的に強す
ぎるのである。これはおおいに読んで白けると云わざるを得ない。
斬りあいの描写は刀は必ず「間髪入れず、ガッ」と迫ってくる。
斬られた方は「次の瞬間、ひっとのけずる」ことに相場が決まっ
ている。他の剣豪作家の描写なら多くの工夫があると思うが、こ
の単調さはちょっとひどい。描写は万事についてて紋切りで新味
がない。結局、内容的にも紋切型、吉川英治の武蔵イメージを引
き継いでるが、さらに単調である。
小山勝清は他に「彦一頓智ばなし」がある。彦一ばなし、の作
家である。
で、やはりお馴染みの『二人の武蔵』武蔵の出生地に作州説と
播磨説があることをヒントにそこから実は武蔵は二人いた、とい
アイデアを得ている。作州の武蔵は新免武蔵。剣も強いが頭が切
れる策略家である。ただ巌流島で小次郎を斬ったのは新免武蔵で
はなく別の岡本武蔵だという。
岡本武蔵は名もない、田舎侍のせがれである。それでけに腕一
本でこの世間でのし上がろうと、功名心にあふれていた。だが修
行をつみ、人間的にも幅が出るに及んで、欲望の対象も変わって
いく。大切なのは名誉ではない、生活だと思うようになる。愛す
る女と暮らす、安心できる生活が欲しい。小次郎を斬れば有名
それは小次郎を斬ることで得られる。小次郎は死んだ。だが首尾
よく勝ったと思ったら、直後に新免武蔵と戦い、その策略にひっ
かかって、あえない最期を遂げてしまう。
なんとも能吏にして非情な新免武蔵、直情型の岡本武蔵、ここ
で描かれているのは剣による修行道ではなく、まさに生活人の姿
であった。まあ、人間追及でなく五味康祐らしいストーリーの展
開に重点がある。面白さ追求である。だが、それでなお、ここに
は戦国乱世に生きる強靭この上ない生活者の姿を描いている。戦
後派の武蔵の小山勝清、五味の武蔵、対照的である。小山の『そ
れからの武蔵』は戦前の武蔵の延長であり、アヴァンギャルドは
五味の武蔵である。
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