山田清三郎『プロレタリア文学風土記』1954.,直接体験による資料的価値は高い
山田清三郎とはあまり、というか、ほとんで知られていない
に等しい人だが、文学史上はなかなか重要な意味を持つ、と云
えないこともない。1896~1987,明治29年に京都の生まれで小
学校卒でもなく中退のようだ。多くの職業を転々として「種蒔
く人」の同人となって、以後プロレタリア文学運動に参加した。
「戦旗」などの編集に携わったが弾圧で逮捕、入獄四年。出獄
後、本人の言う、いわゆる「敗北的転向」を行う、その後、満
州へ渡り、満州文芸家協会委員長となる。戦後、ソ連に抑留さ
れ、1950年に帰国、夜学の日本文学学校の講師、民主主義的ス
タンスに復帰した。
され、戦前はプロレタリア文学は重要な位置を占めてていた
が、戦後は「プロレタリア」という言葉自体が使われなくなっ
た。共産党の言う「民主主義文学」はあっても、これではプロ
レタリアという意味にならない。戦前使って戦後使われない言
葉で「無産者」、要は被雇用者、従業員、サラリーマン、だが
戦後はサラリーマンは制度的に最も個人では優遇されている。
ともあれ、戦後は「左翼文学」を連想させるものとして「プロ
レタリア」文学があるといえる。
本書は戦前、早くからプロレタリア文学運動に参加していた
山田清三郎氏の回想記である。とにもかくにも、プロレタリア
文学運動は近代日本文学史から消すことはできないものだ。資
料的な価値は高い。
山田清三郎
実は系統的にまとめられた文学史を著者は別に書いているのだ
が、本書は18922年、大正11年ころからのいろんな出来事を、直
接体験の記憶によって書いている。
当時のプロレタリア作家た評論家の中には、戦後活躍していた青
野季吉、亀井勝一郎なども含まれている。当時の雰囲気がどのよ
うなものであったか、関東大震災を中心とする弾圧のやり方が、
余りに散々なひどいものであったか、露骨なものだったかである
が、プロレタリア文学運動も幼稚さがあったという。
左翼文学の不朽の名作となった小林多喜二の『蟹工船』、徳永
直『太陽のない街』などが書かれ、発表された当時の事情は興味
しんしんである。戦前はプロレアリア文学運動は基本、非合法と
され、ついには全くの地下運動になってしまい、関係者以外、く
わしい事情は分からなかった。だが、本書は詳しい状況が描かれ
ている。さらに当時の各機関誌の状況も述べられている。そこで
明らかなのは分裂の歴史だということ、戦後に妙なしこりともな
っているという。
左翼文学だけではないが、日本文学のお家芸のように、大局を
見失った理論倒れの続出、それはプロレタリア文学運動でも大き
な問題だった。
第四章は著者の転向の事情が述べられている。正直な叙述だ。
戦前から日本の憲兵による弾圧、特高による弾圧の実情は戦後、
なんとか明るみに出たが、その被害に具体的状況が詳細に述べら
れ、確かに資料的価値はある。さらに一種の自叙伝という要素も
ある。
この記事へのコメント