中井英夫『人外境通信』めくるめく久生十蘭に傾倒した語り口
『人外境通信』は『とらんぷ譚』においての第三集であり、
先行するのは『幻想博物館』、『悪夢の骨牌』である。中井
の言葉を借りれば「カードの種類からいうとハートに当たる」
という。
「人外(じんがい)それは私である」と書き出しがなされる。
でも「人外」という奇妙な言葉は何だ!となるが「ついにこの
地上にふさわしくない一個の生物と定義すれば、やや近いかも
しれない」という。作品内の「私」の云うならば自己定義、規
定というべきか。
で13もの短編が収められている。『薔薇の縛め』、『鏡に
住む男』、『藍いろの夜』、『悪夢者』、『薔薇の戒め』など、
父親が植物学の大家で小石川植物園の園長など要職を歴任、で
植物は中井の作品によく出て、、薔薇もであるが、「青い花が
ないのは誰でも知っているが」これは正直唖然、中井英夫ほど
の人が青い花など数多いことをご存じなかったのか、である。
それはともかく、その筆致は実に持って回している。
「それが病んだ薔薇の樹の所為か、茸の惑わしか、それとも
森の魑魅(すだま)の誘いだったのか、ついに誰も知らない。
ともあれ、それまでは、クレモンの奥方ほど信心深くまた慈悲
深い方は、当節稀れであろうというのが専らの噂であった」
こういう調子の語りで、虫酸が走るという読者も多いと思う。
気障でもったいぶっている、という臭気が耐えられない、なら
もう本を投げ打てばいいが、この語り口に乗せられる、乗れる
というなら、一気にその短編を読み通せるということだ。一種
の気障に酔えるかどうか、だろう。それに乗れなければ、もう
、この譚から離脱するしかない。乗りたい気持ちはあるが、ど
うにも乗れない、ならそれは過度の気障な作り物、というこの
作品が悪いと思うしかないだろう。強いて言うなら、中井英夫
の一種の私小説と思うしかない。
でよく「狂院」という名で精神病院が出てくる、が「狂院」
というほうが中井英夫には似つかわしいのかどうか。『人外
通信』もいたるところに狂院が横たわっている。『扉の彼方に』
という作品には、直接には看守の形をとる理性の暴力で、狂院
の一室に閉じ込められた男の扉への恐怖を描く。
久生十蘭にえらく傾倒した中井英夫だ。激しい告白衝動があり、
詩人的性格の上に、久生十蘭の語り口と譚つくりを徹底的に身に
つけたあそのい息苦しさより、ナチュラルにあふれるものを制御
の苦しみがより重圧になっているのではないだろうか。
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