再読、伊藤整『若い詩人の肖像』1957、「仮面」を結局、脱し切れていない。ジョイスの「若い芸術家の肖像」の模倣に終わっている。
云うまでもなく伊藤整の代表作だとは思う。思うが、どうも
問題を孕んでいる。もうこの作品を中学生時代に初めて読んで
60年近い年月が過ぎた。最初はある詩人の若き日の自伝、と単
純に思ってきた、みりょくある記述が多い、しかし今になって
伊藤整が「気取り、仮面」を捨てようとして、結局、妙な「気
取り、仮面」に終始したと思えてならない。
ともかく旧制中学時代からの若き日を題材として書いた自伝
小説であり、七つの章からなる。最初は「海の見える町」、で
最後あたりの章が「若き詩人の肖像」である。でも、これは英
文学専攻の伊藤整がジョイスの『若い芸術家の肖像』を真似た
ものだということが最近、分かってきた。実際、伊藤整はジョ
イスの『ユリシイズ』の翻訳もある。
この小説は自伝と云いながらフィクション要素が強い、とい
うのはものを知らない人間が言うことで、やはりすべてに実在
のモデルがある。著名な詩人は実名だが、無名の友人、知人は
仮名で登場している。
大正後半から昭和一桁くらいにかけての話で「私」が小樽高
商に入学したところから実質始まっている。卒業後、新設の中
学で英語教師、で退職して上京、東京商大に入学、そこで多く
の詩人たちに出会う、ところで終わっている。でも読んで興味
津々となる。
「15,6歳から近代日本の象徴詩やヨーロッパ系の訳詩を読
み、自分でも詩を書き、詩の表現を自分の心の本当の表現だと
信じていた」小樽高商という学校の「勤人気質や学問や体験の
てらいと結びついた」妙に大人びた学生の多い中で」「詩を読
み、詩を書くことだけに結びついている自分の心の本当の働き
を、人目にさらすのを恐れ」、「自分の外の形を勉強好きな、
内気な、一番年弱の生徒というものに作っておき、それによっ
て級友たちの世間並みの型に落ちこまないよう自分を守ってい
た」・・・・・ここに伊藤整という人物の人間性がよく表れて
いる。「他人に見せる自分を本当の自分とは別なものにしてお
く」という態度は、いかにも「気取り」、「仮面」という性格
をよく述べている。
伊藤整の次男の伊藤礼は「父は真情吐露に類することは一切
口にしなかった」と回顧している。「雨が降ってきそうだから
洗濯物を入れろ」とはいっても「今日の天気は良い」とは絶対
に言わなかった、という。まして「今日は好天で気持ちがいい」
など絶対に口にしなかったという。だが「父は併し、死ぬ前に」
たった一度の真情吐露を行った。『俺はバカだ、俺はバカだ』
と何度か呟いた。母は慰めるでもなく『みんな、バカをやって
生きてるんじゃないですか』と言葉を投げた。」
さて、小樽高商で小林多喜二が一年上にいた。すでに文学青
年として仲間で重く見られていた多喜二を伊藤整は意識しても
近づかなかった。小心というか、嫉妬もあった。
で、やたら出てくる恋人、「重田根見子」むろん実在の女性で
あり、根上シゲルという。シゲルから伊藤整は長男に「滋」と
云う名前まで付けている。『若い詩人の肖像』のなかでも重田
根見子」についての文章は明らかに他の文章と異なると思える
。
「私はその時、自分の顔が青ざめるのを覚えた。余市町、
留見子、それは私の二年前の恋人、重田根見子の妹なのだ。
すると三田の恋人は、その重田根見子のことなのか、・・・
・・・」
と、まるで追いかけるような文章が延々と、これは文体が
全く全体のパターンを崩している。というしかない妙な誇張の
表現が続く。
「そして私は涙を流し、彼女に会う機会があれば会いたいの
だと訴えたい」
実はこの文章を通じて伊藤整は実在の根上シゲルへ「会って
くれないか」と呼び掛けているのである。『若い詩人の肖像』
が中央公論で昭和30年9月号から12月まで連載され、翌年、
昭和31年に新潮社から単行本で刊行された。
その翌年、伊藤整は昭和32年だが伊藤整はモデルの根上シゲ
ルと最初は飯田橋で、二回目は新宿駅の二階の食堂で会ってい
るのだ、小説中での呼びかけは功を奏したのだ。青春時代の
恋人に東京で再会し、自分は文壇に確固たる地位を築いたと
う感涙の涙を伊藤は流したという。
ともかく東京に出てからは梶井基次郎、三好達治、北川冬彦
などと知り合った。「あとがき」では元来、独立の短編として
書いていたものを、途中で長編でまとめようという気になって
結果、・・・・・だが、そのせいか全体は精粗があって筆致も
激変したり、バランスを欠いている部分が多い。『日本文壇史』
の外伝めいた部分もある。
最後は何か列車で泣きじゃくる場面で終わっている。できる限
り「仮面」、「気取り」を取ろうとして書いたが、結局はポーズ
で終わっているなぁ、と改めて感じた。
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