ミシェル・ラゴン『だまし絵』パリ画壇を皮肉って実は人間の根底に潜む欺瞞を暴く
河出書房新社から1960年に翻訳が出版された、もう古書にし
ても、パリ画壇を取り上げての絵画とは何か、その奥に潜む人
間洞察は、・・・。舞台は第二次大戦後のパリである。ピカソ
、マチスはもう超大家、不遇のうちに若くして倒れたバスキン
やモディリアニもぼつぼつ、エコル・ド・パリの神棚に祀られ
ようか、という時代だ。
抽象画の一方の旗頭とみられていた、一人の才能ある画家が
、自分と画商との言い争いから孤立無援の形となり、その画商
の策謀のうちに落魄して死んでいく、というのがストーリーで
ある。
だが作者のミシェル・ラゴン自身が、美術批評家であり、こ
とに抽象画につての論客なのだから、ストーリーも納得できる
だろう。登場する画商や批評家の口を通して語られる美術論、
芸術論、そのベースの人間論こそが興味深いのだ。
パリでの画商と画家との関係、画商とパトロンの関係、彼ら
の間の駆け引きで画家が無視され、追放されたり、逆に画商の
策略で天才が創造されたり、でっち上げられたりのカラクリ、
絵は分からない人間が前衛芸術のパトロンになったり、された
り、美術批評家が本分を離れ、御用批評家になっていく話、と
美術界の裏話事情をテーマとするが、一口にいえば、ラゴンに
よる当時のパリ画壇の戯画、カリカチュアといえる。
戯画だから誇張もあるだろうが、事実の核心はその中にこそ
ある。小説の体裁だがラゴンの美術観、芸術観がそこに筋金を
いれている。小説というまずは城に立てこもって、画家、画商、
批評家、パトロン、一般美術愛好家などに云うならば八方の矢
を放っている。画家も実名でかなり出てくる。この戯画は、実
は深刻ともいえる興味をそそるものだ。
「何よりも、まず毎日ビフテキや家族手当や社会保障や老齢
年金を求めている人たちにとっては理解しにくいことですが、
真の芸術家たちは、他のすべてのことを問題にせず、世界を、
・・・・・自分たちが見るままの自分の世界を、・・・・表現
するように彼らを促すという始末の悪い性格を持っているので
す。ピカソやマチスやブラックの場合のように、時として財を
為すことはあります。でも彼らと同じ時代のモディリアニ、バ
スキン、その他数多くの名前すら残っていない多くの画家のよ
うに、貧窮で中途で病気や死に遭遇することが多いのです」
、「戦後、誰もが新しいピカソはアンドレ・マルシャンだと
思っていた。そのマルシャンもすっかり落ちぶれてしまった。
それにまた抽象派の画家たちも同じことだ。マネシエなんても
う問題にならない。あんなのは装飾だよ。アルトゥングときて
は、いつも同じ塗ったくりだ。それからアトランタの小動物や、
スラージュの黒い桁組や、・・・・・」
これは不遇を極めた主人公の画家、マネースの言葉なのである。
貧乏過ぎて多少の僻みはあっても、やはり同時以上のラゴンの
、著者の分身の言葉とも思える。小説的な面白みもまたある。
「素人画家はたいしたものだが、ではチャーチルを見たらいい
。いつしか本気で自分を一端以上の画家と思い始め、ピカソを冷
笑したりしたものだ。絵の具のチューブはマッチのようなもので、
誰にでもそれをオモチャにさせておくべきではないのだ」
「パリにやってきた哀れな外国人たち、絵をやる以外、何を
やったらいいんでしょうか?とおっしゃる。エコル・ド・パリの
絵画は外国人のために残しておくべきですよ」
単に小説家が書いたものなら、さしたる小説じゃないだろうが、
気鋭の美術批評家が書いたとなると痛烈たるを失わないだろう。
著者 ミシェル・ラゴン、Michel ragon 1924~2020
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