所武雄『知慧子の四季』1953、朝日新聞社員の抒情小説, 四季で章立て。少女小説風


 タイトルに四季とあるから、季節ごとの章分けである。も
う古書店にわずかの本である。著者は?所武雄、あの芸能人の
所と同じだが所ジョージは芸名である。所武雄は本名である。
1907年、明治40年の東京生まれ、東大仏文卒、朝日新聞入社、
出版局に属し、そこで小説を発表。昭和6年頃、シベリアを放
浪し、『北を駆ける』の著書もあった。

 犬山城、その城下町、封建時代が過ぎてもその名残が強く
残っていた。知慧子の生家は古い家柄の商家の尾島屋であっ
た。父は不行跡の挙句家を出て、生母は涙に暮れて実家に帰
り、知慧子は祖父とお手伝いさんの「さよ」の手で育てられ
た。

 知慧子の小学校の同級生に喜久治がいた。彼は学校に上が
る頃に父を失い、尾島屋の世話で暮らしている。母一人、子
一人の身の上である。知慧子は子ども心に喜久治に惹かれて
いる。喜久治は、尾島屋の恩を受けていることを気にしなが
ら、やはり知慧子に心を惹かれている。校長の口利きで喜久
治は中学校の学資を尾島屋に出してもらうことになったから
だ。知慧子は土地の女学校に残り、喜久治は名古屋の中学に
入った。

 喜久治は四年になった。将来は医者が目標である。夏、犬
山に帰省すると、尾島屋の老人が病気で重体である。老人は
すでに死を覚悟している。枕元に座った喜久治に向かって、
学資に事欠かないだけのものを喜久治の母に渡しておくとい
う。二度目の妻と他所の土地で暮らしている智慧子の父が、
老人の死後に、犬山に乗り込んできて、我が物顔に尾島屋の
後を継いだ時を考えた喜久治は知慧子を守る決心で、自分の
云う通りにしてくれるという。知慧子も頷いたが、まだ若い
二人にはどうすることも出来ない。尾島屋の老人は死んでい
った。喜久治は名古屋に戻っていった。

 医科大の予科に入った喜久治のところへ、突然、知慧子か
ら手紙が届いた。全ては喜久治の危惧した通りだった。尾島
屋には債権者が殺到し、どうにしようもなくなっている。知
慧子を育てたお小夜は、単なる使用人として戻ってきた父に
つらく当たられ、住み慣れた尾島屋を出る決心をした。

 知慧子は育ての親同様のお小夜に別れを告げられながら、ふ
と生みの親を思い出し、死んだ祖父を懐かしく思い、「明日は
お小夜をこの家から送り出し、私もこの家から出ていきます」
と手紙を書いている。どこへ行くのか、喜久治は智慧子が死ぬ
と直感し、犬山町にかけつけた。

 知慧子は誰にも気づかれず。行方不明となった。・・・・

 と四季をしょうとして、なにか少女小説のようなストーリー
に思えるが、実は少年期の悲恋を最後まで緩みなく読ませる。
実に抒情の物語である。

  所 武雄 1907~1979

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